平成24年6月1日付
日蓮正宗の基本を学ぼう
               御在世の信徒に学ぶ E
                   四条金吾殿 三
  前回は、竜の口法難の際にお供されたことを通して、四条金吾の純粋な信仰を述べましたが、今回は、主君に対する忠義と妻と共に信仰に励む様子を見てまいります。

 主君を折伏

 @至忠の人
 四条金吾の主君である江馬光時は、極楽寺良観に帰依しており、同僚の家臣も多く良観を尊崇していました。
 その中で、ただ一人、四条金吾のみが日蓮大聖人様に帰依し、法華経の信仰を持っていたのです。
 前々回の「基本を学ぼう」に紹介したように、竜の口法難の翌年に起きた二月騒動の際、主君の江馬氏に謀反の疑いがかけられました。その際、金吾はすぐに、主君のもとへ馳せ参じ、主君と共に自害せんとする忠義を示しました。
 幸いなことに主君の嫌疑が晴れましたが、かかる忠義の念が厚い四条金吾は、主君に信頼を寄せられていたのです。
 四条金吾は、この忠義の心から、主君に法華経の信仰を持って欲しいとの思いを懐いておりました。
 文永十一(一二七四)年、大聖人様は佐渡からお戻りになり、平左右衛門尉頼綱に「蓼古来襲は今年中である」と諌暁され、身延に移られました。
 同年九月、四条金吾は、いよいよ主君への折伏を敢行し、律宗と念仏の邪義を指摘して、法華経の信仰を持つべきことを申し上げたのです。
 しかし、主君の江馬光時は、これを聞き入れず、かえって金吾を不快に思うようになってしまいました。


 A大聖人様の御指南
 報告を受けられた大聖人様は、
「与同罪のがれがたきの御事に候に、主君に此の法門を耳にふれさせ進らせけるこそありがたく候へ」(御書 七四四n)
と讃られると同時に、
 「此より後には口をつゝみておはすべし。又、天も一定殿をば守らせ給ふらん。此よりも申すなり。かまへてかまへて御用心候べし。いよいよにくむ人々ねらひ候らん」(同n)
と仰せられ、人々に狙われるので油断することのないように、御注意を与えられています。
 この御言葉の通り、日頃、金吾を妬ましく思っていた同僚たちは、すかさず種々の讒言を加えたのです。
 こうして文永十一年秋より、同僚の讒言を受け続け、四条金吾に対する圧迫はますます激しくなり、金吾は苦境に立たされました。
 そして、建治二(一二七六)年九月には、越後への所領替えを命じられるに至り、大聖人様は、越後ではもしやの時に駆けつけられないこと、そして、鎌倉に争いが起きそうなので、たとえ所領を召されるとも今年はお側を離れないと返答するよう、御指南されています。
 B法華経の故に苦難の道を歩む 四条金吾の苦難は、大聖人様の御金言の通り、退転することなく信仰を持ち、実際に折伏を実践したことによる難でした。
 正しい信仰をして、我が身が安穏になるのではなくして難が起きるとは、世間一般の人が思いも寄らぬことです。
 四条金吾は、大聖人様の弟子日昭に「現世安穏後生善処と経文にありますが、仰せのように信心を実践したところ、安穏どころか大難が雨のように起こりました」と語り、それを大聖人様がお聞きになりました。
 そもそも、釈尊出世の本懐である法華経には、滅後末世に法華経を信仰し、弘通する者に、様々な迫害や大難が起きることが説かれています。
 そして、末法の日本にあって、その経文を実践し身で示された方は、まさしく金吾の帰依する日蓮大聖人様でありました。
 大聖人様は、四条金吾に、
 「受くるはやすく、持つはかたし。さる間成仏は持つにあり。此の経を持たん人は難に値ふべしと心得て持つなり」(同 七七五n)
と、妙法信受によって必ず起こる難を乗り越えてこそ、成仏は叶うとの心構えを説かれ、
 「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ。これあに自受法楽にあらずや。いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(同 九九一n)
と、苦は苦として、楽は楽として、苦楽共にいかなる時も題目を唱えて成仏の境地にあるようにと、金吾の信仰を励まし続けられました。
 こうした大聖人様の御言葉に支えられ、四条金吾は退転することなく信仰の歩みを続けたのです。

 妻と共に両眼さう(双)のつばさ(翼)のごとく
 大聖人様は、かねて四条金吾に、鎌倉の人々から「法華宗の四条金吾」とうたわれるように信心に励みなさいと述べられ、
 「女房にも此の由を云ひふくめて、日月両眼さうのつばさと調ひ給へ」(同 五九九n)
と仰せられ、夫婦が力を合わせ、いよいよ信心に励むように仰せられています。
 夫婦の家庭における役割は異なるでしょうが、何事にも夫婦が励まし合い、力を合わせていくことが大切です。
 金吾の妻日限女は、この大聖人様の御言葉を心に、苦難の道を歩む夫を支えたのです。
 こうして力を合わせて信心に励む金吾夫妻に、宗祖大聖人様は、
 「さゑもんどのは俗のなかには日本にかたをならぶべき物もなき法華経の信者なり。これにあひつれさせ給ひぬるは日本第一の女人なり」(同 七五七n)
と賞賛されています。


 まことの時
 宗祖大聖人様は、『開目抄』に、
 「我並びに我が弟子、諸難ありとも疑ふ心なくば、自然に仏界にいたるべし。天の加護なき事を疑はざれ。現世の安穏ならざる事をなげかざれ。我が弟子に朝夕教へしかども、疑ひををこして皆すてけん。つたなき者のならひは、約束せし事をまことの時はわするゝなるべし」(同五七四n)
と仰せられています。
 かねて大聖人様は、門下の弟子檀那に対し、いかなる難が起ころうとも、信仰を貫くことの大切さを教え続けられていました。
 しかし、竜の口法難が惹起し、大聖人様が佐渡に流され、門弟にも迫害が加えられるや、実に多くの者が退転してしまったのです。
 私たちは、正しい仏法なればこそ魔が起きることを知り、大聖人様の仰せのままに魔の迫害を忍び、信仰を貫いて乗り越えていくことが大切です。本年の誓願目標達成のため、また御法主上人猊下より賜った御命題達成に向かって、御住職の御指導のもと、折伏に励んでまいりましょう。