平成23年10月1日付
日蓮正宗の基本を学ぼう
                育成について J
  真心からの御供養 3
 さて前回は、御供養の意義について経論に示される内容や、布施との相違、また御供養が御報恩の行であることを述べました。
 今回は、特に本年に行われる特別御供養の意義を学んでいきましょう。

  総本山御影堂
 日蓮正宗は、平成二十一年・『立正安国論』正義顕揚七百五十年の佳節に当たり、数々の事業を推進してまいりました。
 そのうち、総本山御影堂は現在も着々と工事が進められており、平成二十五年秋の完成の暁には荘厳華麗な往古の姿に立ち返ることでしょう。
 現在の御影堂は、阿波徳島藩主蜂須賀至鎮公の室である敬台院殿の寄進によって、寛永九年十一月十五日に建立されたものです。その後、元禄十三年の第二十四世日永上人の時代に修築されました。
 この修築の際には、第二十四世日永上人のもと、第二十五世日宥上人や第二十六世日寛上人をはじめとする僧俗が力を合わせて取り組み、無事完成の際には、大修築法要を執行して法則文を奉り、論議式が行われました。
 日寛上人は、御影堂を荘厳する竜の彫刻(四維)と獅子の彫刻(御拝)について、それぞれ七つの意義を挙げられ、宗祖大聖人の御聖徳と三世益物を表すと記されています。
 こうした御記述より、当時の僧俗が総本山御影堂に思いを馳せ、修築工事の完成を今か今かと待ち望んでいた様子、そして、その完成を喜ばれた様子がうかがわれます。
 御影堂はその後も、明治等の大改修などが行われ、その時々の僧俗が力を合わせて護持してきた堂宇なのです。
 顧みれば、御影堂の他にも奉安堂や客殿、五重塔などの総本山の諸堂宇は、すべてその時々の僧俗によって建立され、今日に護り伝えてきたのですから、先師先達方の尊い信仰の証とも言うべき建物です。
 したがってその信仰の跡を継ぎ、今を生きる私たちは、先人の信仰の証とも言うべき諸堂宇を大切に護持し、自らも修行に励まなければなりません。



  外護の赤誠
 仏教は、出家僧侶と在家信徒がそれぞれの役割を果たしつつ、インドより日本へと伝来してきました。すなわち、僧侶は内より仏法を正しく伝え、信徒は外より仏法を護る役割です。
 また、末法の宗祖大聖人の御在世を拝するにも、当時の信徒たちが数々の御供養をもって、大聖人及び日興上人等の生活を支え、外から正法を護持し、興隆発展を願って来ました。
 大聖人様は、『曽谷入道殿許御書』に、
 「涅槃経に云はく『内には弟子有って甚深の義を解り、外には清浄の檀越有って仏法久住せん」云云(中略)今両人微力を励まし、予が願ひに力を副へ仏の金言を試みよ」(御書 七九〇n)
と仰せられ、曽谷入道と大田金吾に対して、「予が願ひに力を副へ」外護の任を果たすように御教示されています。
 外護については二つの意義があり、まず第一に、私たちが仏法僧の三宝を信仰する功徳によって、成仏の因を積み、衆生及び国土が守られ安穏を得る意。つまり、三宝がその威徳により外部を護る意味があります。
 そして第二に、檀信徒がその功徳をもって信行の威勢を増し、かえって三宝を扶助する意義があるのです。この三宝外護によって、計り知れない功徳を得ることができるのです。
 したがって私たちには、日蓮正宗信徒として、外から大聖人の仏法を護り申し上げる役割があるのです。

  御供養は尊い善行
 特に御供養は、外護の一つの振る舞いであり、大聖人の仏法を伝持する礎となる尊い善行です。
 御供養の精神を伝える話として、経典には沙の餅の御供養と貧女の一灯が説かれています。
 沙の餅とは、ある時、お釈迦様が王舎城で托鉢をなさった際の話です。徳勝童子、無勝童子の二人の子供が、托鉢で通りかかった釈尊の姿を見て歓喜の心を起こし、泥遊びの中でも大切に作った沙の餅を精いっぱいの御供養として奉りました。
 この時、御供養を受けられた釈尊は、自身滅後百年の未来に、印度を統一する大王となると説かれたのです。
 この予証の通り、徳勝童子は仏滅後百年に生まれ、阿育大王として印度を統一し、仏法を敬って善政を敷きました。そして徳勝童子と共に遊び、釈尊の姿に歓喜の心を起こした無勝童子は、その阿育大王の后となったと言われています。
 世間的な損得の価値観では沙の餅の御供養には何の価値もないでしょう。しかし仏法においては、童子の歓喜の心の発露としてなされた精いっぱいの御供養に尊い功徳が存すると教えられるのです。
 またある時、貧しい一人の女性が、何とかお釈迦様に御供養をしたいと願い、自らの髪を売り、たった一本の明かりを御供養申し上げました。
 この時、風が吹いて、他者の御供養である灯火はたちまちに消えてしまいました。しかし、貧女の真心の御供養である一灯だけは消えずに、仏様の御前を照らし続けたと伝えられており、真心を込めて御供養することの大切さを教えてくれています。
 宗祖日蓮大聖人は、ご信徒の松野殿に対し、信徒の修行の在り方として、余念なく題目を唱え、御供養をし、随力弘通することの三点を御教示されています(御書一〇五二n)。
 私たちは、これらの故事や大聖人の御金言を拝し、真心を込めて御供養申し上げることが大切です。また、そうしてなされる御供養には、必ず無量の功徳があることを知りましょう。



  御影堂大改修の意義
 さて特別御供養とは、平成二十一年・『立正安国論』正義顕揚七百五十年を御報恩する諸事業のための御供養です。特に総本山御影堂の大改修について述べましょう。
 御影堂は、久遠即末法下種の御本仏日蓮大聖人の御影が常住此説法されている意義を持つ、総本山の中核の堂宇であります。この意義から、総本山の御霊宝虫払大法会と宗祖御大会には、御法主上人猊下が御出仕されて、宗祖大聖人の御立場をもって、甚深の御説法や御講義をされるのです。
 また、参詣する信徒にとっては、かかる尊い御説法法と御講義を拝聴し、功徳を積むべき道場なのです。
 このことから、日蓮正宗僧俗が御供養申し上げて、御影堂を大改修し、御影堂を荘厳することには、御本仏日蓮大聖人の御恩徳に報謝し奉る意義があります。
 また、法要の際に甚深の御説法と御講義をされ、全世界の民衆を導かんとされる御法主上人猊下の御化導を扶助する意義、そして建立以後未来にわたって、参詣する僧俗が功徳を積む修行を助ける意義があると拝されます。
 このように、僧俗が一丸となって御影堂の大改修を成就申し上げることには、甚深の意義が込められているのであり、そこに大きな功徳が具わることは言うまでもありません。
 本年の特別御供養に当たっては、これらの意義を考え、無理なく、かつ精いっぱいの御供養ができるように取り組んでいきましょう。

  「予が願ひに力を副へ」
 先の『曽谷入道殿御返事』に仰せられる「予が願ひに力を副へ」について、現時に当てはめて拝すれば、正しく御法主日如上人猊下より平成二十一年に賜った、
 「平成二十七年・二祖日興上人御生誕七百七十年の佳節までに、すべての法華講支部が現在の講員数を五十パーセント増加すること」
 「平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の佳節までに、法華講員八十万人の体勢を築くこと」
との御命題を達成するべく、折伏行に邁進していくことこそ、「予が願ひに力を副へ」との御金言に適う信行と拝されます。
 本年の誓願達成に向けて、最後まで御法主上人猊下の御指南のままに、御住職の御指導のもと尽力していきましょう。