平成23年3月1日付
日蓮正宗の基本を学ぼう
                育成について D
謗法の害毒
 日蓮大聖人は、『呵責謗法滅罪抄』に、
 「謗法は白癩病の如し、始めは緩やかに後漸々に大事なり」(御書 七一一n)
と示し、謗法が初めは軽微な症状であるのが後に大事になると仰せられています。
 謗法とは正法を誹謗することで、日蓮大聖人の仏法に背く一切の教えや行いをいいます。
 すなわち、日蓮正宗以外のあらゆる宗教における、本尊や宗教物および印刷物などの物品のほか、宗教儀礼や宗教行為などの言動が謗法に当たります。
 さらに、実際に誹謗する言動はしていないとしても、不信(信じないこと)そのものが謗法に当たるため、日蓮正宗の信仰をしないことも謗法になるのです。
 大聖人は、この謗法に対し、
 「謗法を責めずして成仏を願はゞ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし。何に法華経を信じ給ふとも、謗法あらば必ず地獄にをつべし」(同 一〇四〇n)
と仰せられています。
 たとえ日蓮正宗の信仰をしていても、
@他宗教に関わる物品を所持したり、宗教行為を行うこと。また、他宗教に心を寄せたりすること。
A日蓮正宗の信仰をしていない人々を折伏しないで与同すること。
などの謗法があれば、地獄に堕ちると御教示されているのです。
 現実に、朝夕の勤行と唱題は欠かしていないけれども不幸ばかりが起きるという人が、家中を調べてみたら過去の謗法物が残っていたなどの体験談があるように、わずかな謗法であっても、その悪影響が生活に現われるのです。

  悪鬼魔神の棲む神社

 仏法では、正法を信仰する者を守護する日天や月天、天照大神や八幡大菩薩などの諸天善神が説かれています。
 しかし、『立正安国論』に、
 「世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる」(同 二三四n)
と仰せられるように、世間の人々が日蓮正宗の信仰をせずに謗法行為を行っているために、これらの善神が天上に去ってしまい、替わりに悪鬼魔神が神社等に入り込んでいるのです。
 つまり、たとえ祭神を天照大神や八幡大菩薩と謳っていたとしても、実際には悪鬼の住処となっているのです。
 ですから、参詣によってこれらの本尊を拝んだり、祭への参加や寄付を行うことは、この魔の力を増長させることになるのですから、厳に慎まなくてはなりません。


  実生活における謗法厳誡

 私たちは、どんなに謗法に近づかないように心がけても、生活環境や現実の社会には謗法が充満しているため、謗法に無縁である生活をすることはできません。
 たとえば、人付き合いの中で、地域の祭、他宗による葬式や結婚式の参列、団体旅行での他宗寺院への参詣など、謗法に接することは誰にでもあることです。
 しかし、このような場合でも、日蓮正宗の信仰者として謗法厳誡を基本に対処していくことが大切です。

  謗法払いについて

 謗法への対処は、まず家中から謗法物を取り除くことが肝要です。これを「謗法払い」といいます。
 謗法物は、たとえ美術品としての価値を有しているものでも、大切な形見の品であっても、その本質は謗法ですから、きちんと取り除くことが大切です。
 この謗法払いは、所有者が自らの意思によって処分することが原則であり、謗法と決別する強い気持ちで行うことが大切です。
 また、謗法払いを代行するときは、世法上の問題からトラブルに発展する場合もあるので、御住職・御主管の指導を受けて充分に注意して当たる必要があります。

  他宗の儀礼への列席について

 総本山第九世日有上人は他宗の葬儀への列席について、
 「他宗他門の人死去せば知人ならば訪ろうべし、但し他宗他門の本尊・神座に向かって題目を唱え経を読まず、死去の亡者に向かって之れを読むべし」(日蓮正宗聖典 九八九n)
と仰せられています。
 この御指南のように、他宗で行われる葬儀に出席する場合は、他宗の本尊や位牌に向かって御題目を唱えるのではなく、故人に向かい御本尊を念じて御題目を唱え、冥福を祈ることが大切です。
 また結婚式や法要などに列席しなければならないときにも、あくまでも儀礼上の参列と心がけ、御本尊を念じて御題目を唱えるべきでしょう。

  団体旅行などによる見学

 学校の団体旅行などにより、神社・仏閣に行かなければならない場合があります。
 こうした場合について、日有上人は、
 「他宗の神社に参詣し一礼をもなし散供をも参らする時は、謗法の人の勧請に同ずるが故に謗法の人なり(中略)但し物見遊山なんどには神社へ参らせん事禁ずべからず、誠に信を取らば謗法の人に与同する失あり云云」(同 九八七n)
と御指南されているように、単なる見学は一応許されていますが、手を合わせて一礼するなどの行為は信仰心を表わすことになるため、厳に戒めるべきです。同様に、守り札の購入、賽銭、願掛けなどの行為も信仰に繋がるので注意しましょう。
 いついかなる場にあっても、御本尊を深く信じて謗法を破折する精神と、妙法弘通の一念を持つことが、謗法厳誡の教えを守ることになるのです。
 さて、御法主日如上人猊下は、
「謗法を破折していくという強い信心が大切なのです。その最たるものが折伏であると、こういうことになるわけです」(折伏要文 一七二n)
と、謗法を破折していく折伏行が大切であると仰せられています。
 私たちは、大聖人の御金言や御法主上人猊下の御指南のように、謗法を戒め、折伏行に邁進していくことが大切です。