平成22年8月1日付
日蓮正宗の基本を学ぼう
                御授戒の意義を学ぶ 終
  心構えについて
 今回で、御授戒の意義についてのシリーズは最終回となります。そこで今回は、実際に御授戒を受けるときの心構えについて、学んでまいりましょう。

  正直に方便を捨てて法華経を信ずる
 大聖人様は、
 「法華経は正直の経、真実の経なり」(御書 九n)
と仰せのように、御書の随所で、法華経こそが正直の経、諸仏出世の真実の教えであることを明かされています。
 そして、私たちの成仏の道は、
 「正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて、三観・三諦即一心に顕はれ、其の人の所住の処は常寂光土なり」(同 六九四n)
と、正直に爾前方便の教えを捨て、諸仏出世の本意である法華経を信じ、南無妙法蓮華経の題目を唱えるところに即身成仏の功徳があることを御指南されています。
 日寛上人は『安国論愚記』に、
「正とは一に止まる」の意義を述べられています。つまり、天に二つの太陽がなく国に二人の王がいないように、正しい教法が二つも三つもあるわけがありません。これについて法華経『方便品』に、
 「十方仏土の中には 唯一乗の法のみ有り 二無く亦三無し」(法華経 二〇n)
と説かれている通りです。
 そして大聖人様は、
 「今、末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし。但南無妙法蓮華経なるべし」(御書 一二一九n)
と仰せられています。
 すなわち、末法の衆生を唯一救済できる本因下種の南無妙法蓮華経こそが、一切の方便を帯びない正直の教法なのです。
 また『日妙聖人御書』には、
 「法華経は正直捨方便等・皆是真実等・質直意柔軟等・柔和質直者等と申して、正直なる事弓の絃のはれるごとく、墨のなはをうつがごとくなる者の信じまいらする御経なり」(同 六〇六n)
と仰せのように、そもそも法華経が正直なお経なのですから、謗法の執着を捨て、正直に、また素直に疑いなく信心をする人でなければ、正しく受持できず、魔に誑かされ、いずれ退転してしまうことになるのです。
 折伏するときの心構えにおいても、しっかりと相手の心から謗法への執着を取り除き、正直な信心をさせることが大切です。きちんとした謗法破折をせず、安易に御授戒・勧誡したり、御本尊を下付することは、折伏の功徳を成ぜず、本人も信仰の功徳を得ることができません。
 むしろ逆に、退転に繋がる謗法容認や、御本尊返納の不敬に繋がる恐れがあるので、十分に気をつけることが大事です。
 すなわち折伏は、相手を根本から救済する慈悲行ですから、仏性と人格を尊重する精神に立つと共に、苦悩の原因である謗法に対しては徹底して折伏することが肝要なのです。

  謗法払い
 日蓮正宗に入信するに当たっては、それまで所持してきた他宗の本尊や仏像・神札・お守りなどを処分します。これを「謗法払い」と言います。
 謗法払いを行う理由は、当人の、それまでの謗法への執着をきっぱりと断ち切るため、また、これから持つ正法の信仰をするうえで、魔の用きがある他宗の本尊などに惑わされないようにする意味があります。
 もし、この正法に他の邪な宗教を雑えて修行するならば、正しい信仰の功徳を消し、かえって大きな罪業を積むことになります。
 大聖人様は、このことを、
 「法華経を行ずる人の、一口は南無妙法蓮華経、一口は南無阿弥陀仏なんど申すは、飯に糞を雑へ沙石を入れたるが如し」(同一四四七n)
と、また『本尊問答抄』には、
 「本尊とは勝れたるを用ふべし」(同 一二七五n)
と仰せられています。
 最高最尊の本宗の御本尊を受持するには、他の一切の本尊・信仰対象物は不要です。どんな低劣稚拙な宗教でも、拝む対象とする本尊は、正法の信仰を妨げる魔の用きとなりますので、謗法払いは必ず行わなければなりません。


  成仏の境界に進みゆくための誓いの儀式
 折伏した相手が今までの謗法の執着を捨てて、正法を受持しようと決意したならば、次に紹介者は、御授戒を受けるときの心構えを教えます。いざ、御授戒を受けるときになって、お数珠のかけ方も教わっていないようでは新入信者がかわいそうです。誰しも初めは不安で一杯です。やさしくていねいに教えてあげることによって、その人も紹介者の真心に触れ、大聖人様の御慈悲の一端を感じることでしょう。
 そして入信するための準備が調ったならば、新入信者は紹介者と共に、末寺の御住職のもとへ御授戒の願い出をします。
 御授戒を行う御僧侶は、御宝前において読経・唱題・観念の後、御本尊様を奉持して、授戒文を唱えます。この時、受ける本人は三度、「持ち奉るべし」と答え、「今までの謗法の一切を捨てて、大聖人様の三大秘法を、生涯持っていく」ということを堅く誓うことが大切です。御授戒は単なる入信の儀式というだけではありません。下種三宝尊から成仏するための根本の戒を授かり、本当にその人が、生涯にわたって本宗の信心を貫き通し、成仏の境界に進みゆく、崇高な誓いの場です。
 御授戒を受けるときは、本人にとって、一生の記念に残る新出発の日となるわけですから、同志の人も寺院に詣で共に祝ってあげたいものです。皆で喜びを分かち合うところに、異体同心の輪も広がっていくことでしょう。
 また子供の初参りにおいては、その両親が法統相続せしめ広宣流布のよき人材として大切に育てていくことをお誓いする場ともなるのです。
 御授戒は、受ける本人はもとより、紹介者も、そこに集う同志の人も、もう一度自分自身の信心を見つめ直し、共々に発心する大切な儀式であることを再確認しましょう。
 大聖人様は『四条金吾殿御返事』に、
 「受くるはやすく、持つはかたし。さる間成仏は持つにあり」(同 七七五n)
この正法を一生涯持ち続けていくところにこそ、成仏があることを御教示されています。

  折伏成就の秘訣は御本尊様への絶対信
 御法主日如上人猊下は、
 「折伏というのはひとつの勢いのようなものでありますから、勢いをつけていくということが非常に大事であります。極端な話ですが、昨日、御授戒を受けて入信した方が、その翌日から折伏する例も実際にあるのです。つまり『この御本尊様が絶対だ』と、そのように確信したら本当に折伏に立ち上がるのであります。それは御本尊様への絶対信と、その勢いによるものだと私は思うのであります」(大日蓮 七四九号)
と、御授戒を受けて入信した人が御本尊様から功徳を戴き、その感動と喜びを御本尊様への絶対信に変え、その勢いをもって直ちに折伏する実証をお示しになられました。
 私たちも御授戒を受けたときの初心を忘れることなく、御本尊様への絶対信のもと、正直な信心で折伏に精進してまいりましょう。