平成22年6月1日付
日蓮正宗の基本を学ぼう
                御授戒の意義を学ぶ A
 
  仏教史における授戒式の変遷
 前回は「七宝の徳」から御授戒の意義を拝しました。今回は「仏教史における授戒式の変遷」について学んでいきましょう。

  釈尊在世に見る御授戒
 授戒の歴史を遡っていくと、釈尊在世にその始まりを拝すことができます。
 仏陀伽耶の菩提樹下において成道された釈尊は、そこで十方の諸菩薩に対して華厳経を説かれました。その後釈尊は、苦行を共にした阿若}陳如等の五人の比丘を教化するため波羅奈国へと向かわれ、そこで出会った商人から食の供養を受けたのです。
 「澡漱して鉢を洗ひ、即ち商人に三帰を授けたまふ。一には帰依仏、二には帰依法、三に帰依当来僧なり」
と示されるように、供養を受けた後、うがいをし鉢を洗い「帰依仏・帰依法・帰依当来僧」との三帰を商人に授けられました。未だ伝持の僧侶がいなかったため当来僧(後に出現する僧侶)とされましたが、これが最初の授戒であり、仏法僧の三宝に帰依する授戒の本義が拝されます。
 この後、阿若}陳如等の五比丘が出家することによって、
 「五阿羅漢は、是れ僧宝たり、是の如くして、世間に三宝具足す」
と、仏法僧の三宝が整足しました。
 この五人の比丘が出家を願ったとき、釈尊の呼びかけに応じて自然と髪が抜け落ち、袈裟を身につけて沙門となったと説かれています。また、釈尊が出家を許した者の頭を摩でると自然と髪が抜け落ちたとの説話もあり、頭上に御本尊を戴く現在の御授戒に通じる様相が伝えられています。

  中国への伝来
 一般に戒律を授けるための場所を戒場・戒壇と呼び、仏教教団の発達と共に様々な戒壇が設けられました。インド・中国では僧侶によって造られる以外に、国王や貴族等の帰依によって造られたものもありました。釈尊在世のインドでも、弟子の請いによって祇園精舎に戒壇が造られたとする説もありますが、史実の上からは定かではありません。ですが前述したように、防非止悪の戒を結び弟子に授けるという、授戒の儀式が存したことは疑いありません。
 中国では、前御法主日顕上人猊下が『百六箇種脱対見拝述記』
 「釈尊自ラ一々説戒ヲナス初期二於テハ、戒ヲ施ス戒場ハ時ニ存スルナランモ、戒壇ノ建立ハ無カリシ如ク、時ヲ経ルニ従イ戒律ノ全相ガ具備セラルルニ至リ、受戒方式ノ設定トナリ、更ニソノ化儀ノ荘厳ヲ期スル上ヨリ、戒壇ノ建立ニ至リシガ如シ」(『百六箇種脱対見拝述記』三〇二n)
と御教示されるように、仏教が伝来してから時代を下るほど、戒壇建立が盛んとなっていきました。その一方では、僧侶に付与されていた課役免除等の特権目的の出家者が増加したため、仏教教団が国家による統制を受けることになり、朝鮮半島を経て日本に伝わる際にも影響を与えています。

  日本への伝来と大乗戒壇建立
 日本へは、西暦五五二(欽明天皇一三)年に百済より仏教が伝来したとされています。(仏教伝来の時期には諸説あります=編集部註)
 仏教伝来当初は、自らに授戒する自誓授戒が行われるなど、授戒の本義が正しく認識されていませんでしたが、徐々に戒律の重要性が認識され、授戒師を招請する気運が高まっていきました。
 そして七五四(天平勝宝六)年、聖武天皇の帰依により、唐の揚州の僧であった鑑真和尚が来朝して初めて東大寺に戒壇が建立され、天皇・皇后をはじめとする諸官に授戒が行われました。七六一(天平宝字五)年には、下野(栃木県)の薬師寺と筑紫(福岡県)の観世音寺にも戒壇が建立され、律令制度下において、日本を三分して受戒をなさしめることとなりましたが、三戒壇共に小乗の戒壇でした。
 それから六十年の後、伝教大師最澄が出現して天台法華宗を弘通し、大乗円頓戒壇の独立を主張するに至ります。南都における鑑真の受戒式は小乗具足戒であり、天台宗独立のためにもと大乗菩薩戒の受戒式認可を願われました。
 南都六宗は当然のように反対しましたが、伝教大師は『顕戒論』等をもって大乗戒壇の正義を示されました。大師存命中に建立を果たすことはできませんでしたが、入滅七日にして大乗戒独立が允許され、入滅の翌年である八二三(弘仁一四)年四月十四日、義真を伝戒師として初めて大乗戒の授戒が行われました。さらには八二七(天長四)年に、奉勅により比叡山に戒壇院が建立されたのです。
 ところが、天皇の奉勅であったにもかかわらず依然として南都諸寺は反発し続け、天台宗内部の分裂も相俟って、鎌倉時代以降独自に戒壇を建立する教団が増えるなど、得度・授戒式もその本義を見失い形骸化していきました。

  本門弘通の大戒
 日蓮大聖人様は、入信のもととなる授戒の儀式さえも、おざなりとなっていた悪世末法の時代に御出現されました。『最蓮房御返事』に、
 「貴辺に云ぬる二月の比より大事の法門を教へ奉りぬ。結句は卯月八日夜半寅の時に妙法の本円戒を以て受職潅頂せしめ奉る者なり」(御書 五八七n)
と仰せのように、末法の一切衆生救済の本門の大戒を、御自身の手でお授けになられたことが拝されます。
 日蓮正宗の正しい三宝に基づき、三大秘法の仏法を受持することを誓うことが、末法における唯一の御授戒であり即身成仏の根本となるのです。
 三大秘法とは、本門の本尊・戒壇・題目であり、仏教の基本である戒定慧の三学に当たります。
 『四信五品抄』に、
 「『在世滅後異なりと雖も、法華を修行するには必ず三学を具す。一を欠いても成ぜず』」(同一一一一n)
と示され、大聖人弘通の三大秘法は、上行菩薩に結要付嘱された久遠当初の要法を、末法民衆の即身成仏のため、三学に則って本門の本尊・戒壇・題目として顕された法体です。この三大秘法こそ、一切の仏法の中心であり根源なのです。
 私たちは、この三大秘法広宣流布のため、
 「強盛なる信心に立ち、揺るぎない決意と勇気を持って折伏を行じ、新たなる目標の達成へ向け、さらには一天四海本因妙広宣流布達成を目指して、前進していくことが肝要であります」(大白法 七八七号)
との御法主日如上人猊下の御指南のまま、共々に精進してまいりましょう。