平成21年5月1日付
日蓮正宗の基本を学ぼう
 世間法と仏法
 私たちは日々、様々な環境の中で、それぞれの生活を送っています。
 こうした生活(世間法)と仏法について、法華経では、
「諸の所説の法、其の義趣に随って、皆実相と相違背せじ。若し俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん」(法華経 四九四n)
と説かれています。
 これは、誠実に妙法の信仰をする人ならば、道徳や世間の様々な考え方、政治や法律、経済や産業、生活や仕事などの一切の営みは、すべて仏法の諸法実相・一念三千の道理に適った功徳の姿として現れるということです。
 したがってまた、言い換えると、私たちの生活と信仰は別のものではない″ということでもあるのです。
 さて、生活と信仰の関係について、宗祖大聖人は、
「仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影な、めなり」(御書一四六九n)
と仰せられています。
 この御文は、仏法こそがすべてにおける本体であり、私たちの生活する社会はそれより出でた影のようなものである。もし誤った宗教を信ずれば、それによって生活も曲がったものになる、と御教示されたものです。
 したがって、安心して暮らせる生活や幸せで充実した人生を願うならば、まず根源である宗教について学び、その宗教の善悪の判断をし、その信仰を正さなければなりません。
 ところが、多くの人たちは宗教に善悪があることを知らず、また、世の中には実に多くの宗教があり、私たちの生活の根源であるはずの宗教や思想が、正邪の分別もされることなく雑多にあふれているのが現状です。
 ですから、宗教の正邪を判定する基準を持たない一般の人にとって、どの宗教が正しい宗教であるかという取捨選択はとても困難なことといえます。
 そのような中、私たちは、幸いにも正法である日蓮大聖人の仏法に巡り合うことができたのです。
お寺での勉強会
信心に即した生活
 そもそも、生活とは、私たちが生きていくために必要な活動のことであり、信仰とは、私たちの迷いの生命を悟りの境界へと変えていくことです。
 私たちが勤行・唱題、折伏を行じていくことにより、まず私たち自身の生命が変わります。そして、私たちの生命が変わることにより、その生活・環境も変えていくことができるのです。
 つまり、大聖人の仏法における生活と信心の在り方は、
「御みやづかいを法華経とをぼしめせ。『一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず』とは此なり」(同一二二〇n)
と仰せのように、正しく、普段の生活の中こそが、信心の実践の場であると心得て、日々、信心を根本とした生活を送ることなのです。

現在を大切に生きる
 私たち一人ひとりには、過去・現在・未来の三世に亘る生命が具わっています。
 この三世の生命について、大聖人は、『心地観経』の、
「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ」(同 五七一n)
との文を引かれ、現在は過去の結果であり、未来は現在の結果となることを示されています。
 たとえ、現在の境遇が恵まれないと言っても、過去の原因をなかったことにはできません。
 しかし、現在の信心修行により、過去の罪障を消し、今世の人生を変えることができ、末来世の自己も、よりよく変えていくことができるのです。
 ですから、私たちが現在をどのように生きるか、ということが大切です。
 その現在で、御本尊様への信仰を根本とした人生を送ることが最善の生き方であり、必ずその善因によって、よい結果が現れてくるのです。
信徒宅での御講
流れ弛まぬ水の信心
 大聖人は、信心の在り方について、
「法華経を信ずる人あり。或は火のごとく信ずる人もあり。或は水のごとく信ずる人もあり。聴聞する時はもへたつばかりをもへども、とをざかりぬれはすつる心あり。水のごとくと申すはいつもたいせず信ずるなり」(同一二〇六n)
と、水火の二通りがあると仰せられています。
 まず、火の信心とは、炎のように一時は強盛に励みますが、いずれ消えてしまう「熱しやすく冷めやすい」信心姿勢のことです。
 それに対し、水の信心とは、清らかな清流が滔々と流れるように、時に紆余曲折があろうとも、決して流れを止めることのない「持続」の信心姿勢のことであります。
 人の心は風見鶏のように、様々な縁によって善くも悪くも揺れ動いてしまいます。
 だからこそ、どのような縁にも惑わされることのないように、常に御本尊様への絶対信と御法主上人猊下への信伏随従を根幹として水の信心を心がけ、自行化他にわたる信心修行に邁進することによって、揺るぎない確固とした生活を送ることができ、その姿がそのまま確信に満ちた安泰な生活、幸せな人生の大道となるのです。
 生活という困難な場こそ、信心修行の大事な場ととらえ、千載一遇の本年の誓願完遂こそ、広大無辺な功徳を戴けることに確信を持ち、精進してまいりましょう。