令和2年4月1日付
日蓮正宗の基本を学ぼう
          日蓮大聖人の御生涯 20

『開目抄』御述作

前回学んだように、塚原問答において、念仏の邪義を完膚なきまでに打ち破られた日蓮大聖人の尊容に、これまで大聖人に敵意をもっていた佐渡の人々が、次第に敬服するようになりました。

最蓮房の帰伏

 その一人に、天台宗の僧侶であった最蓮房日浄がいます。
 最蓮房は、大聖人よりも先に流罪の身として佐渡に住していたのですが、塚原問答決着の約二週間後、文永九(一二七二)年二月初旬に大聖人に帰伏しています。
 そして、大聖人より数々の重要な法門書を賜っていますが、その一つである『生死一大事血脈抄』の中で、大聖人は、
「殊に生死一大事の血脈相承の御尋ね先代未聞の事なり貴し貴し」(御書 五一四n)
と、最蓮房の仏法修学の姿勢と求道の志を賞賛されています。

御述作の興起

 塚原問答の翌月、文永九年二月、大聖人は『開目抄』を御述作されて、四条金吾をはじめとする門下一同に与えられました。
 当時、大聖人が竜口法難から佐渡御配流と身命に及ぶ迫害を受ける中、その迫害の手は鎌倉の弟子檀那へも及び、牢に入れられたり所領没収などの刑に処される者も出たため、弟子檀那の中には信心を捨てて退転する者が続出していたのです。
 大聖人は、この時の様子を『弁殿尼御前御返事』に、
「しかりといえども弟子等・檀那等の中に臆病のもの、大体或はをち、或は退転の心あり」(同 六八六n)
また、『新尼御前御返事』には、
「かまくらに御勘気の時、千が九百九十九人は堕ちて」(同 七六五n)
述懐されています。
 総本山第二十六世日寛上人は
『開目抄愚記』に、
「当抄の述作は、竜口法難に由来する。大聖人は、真の法華経の行者にして三徳具備の仏である。しかし、日本の人々はこれを知らずに強く憎み、責め、その上(竜口の刑場にて)命に及んだ。(大聖人に)迫害を加えても、(迫害者には)罰は当たらず、諸天の加護もない。これによって弟子檀那は、大聖人は法華経の行者ではないと疑いを起こした。故に真の法華経の行者であることを示し、疑いを払って信心を起こさせるために当抄を述作されたのである(趣意)」(御書文段 五三n)
と御教示です。
 すなわち『開目抄』の御述作の興起は、竜口法難にあるのです。迫害によって弟子檀那が「大聖人を迫害した者に現罰が出ないのはなぜか」、また「大聖人に諸天の加護がないのは、法華経の行者ではないからではないか」との不信を抱いて、退転者が続出するという一門の危機に当たって、不信を取り除き、真の主師親三徳に対する盲目を開かしめるためでした。

主師親三徳兼備の御本仏


『開目抄』は上下二巻から構成され、内容を主題の標示(標)・主題の解釈(釈)・結論(結)の三つに大別して著されています。
冒頭に、
「夫一切衆生の尊敬すべき者三あり。所謂、主・師・親これなり。又習学すべき物三つあり。
 所謂、儒・外・内これなり」(御書 五二三n)
と仰せのように、一切衆生が尊敬すべき主師親の三徳(主題の表示)を挙げ、さらに儒教、インドの外道、内道(仏教)の順に進み、仏教の中でも一代聖教の勝劣浅深(主題の解釈)を判じて、
「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底に秘してしづめたまへり。竜樹天親は知って、しかもいまだひろめたまはず、但我が天台智者のみこれをいだけり」(同 五二六n)
と仰せのように、法華経本門寿量品の文底に秘沈される一念三千の法門こそ、真実の成仏の法であることを示されます。
 そして、諸宗が法華経に背いていた当時の状況下において、大聖人ただ一人が法華経の行者として立ち上がり、数々の大難を受けてこられたことを述べられます。
 後半では、法華経の経文に照らして厳密に、大聖人御自身が末法の法華経の行者であることを明かされます。
 その上から、
「詮ずるところは天もすて給へ、諸難にもあえ、身命を期とせん。(中略)我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(同五七二n)
と、諸天の加護があるか否かは問題ではなく、いかなる大難が起ころうとも法華経の行者としての大確信の上から、妙法流布に尽くしていくとの誓願を述べられます。
 そして、
「日蓮は日本国の諸人に主師父母なり」(同 五七七n)
と仰せのように、末法においては大聖人ただお一人が、御内証において主師親の三徳を具えた御本仏である(結論)ことを宣言されています。故に本抄は、「人本尊開顕の書」と称されています。

五重相対

 なお、『開目抄』で示された、勝劣浅深を判ずる教判の「五重相対」についても述べておきます。
 これは内道において、釈尊に具わる主師親三徳を挙げ、また釈尊が説き示す教えの勝劣浅深を明らかにされたものです。
 本抄には、内外相対・権実相対・種脱相対・権迹相対・本迹相対と記され、一般的な五重相対にはある大小相対がないのは、大乗教と小乗教の判釈(大小相対)は解決済みであること、そして権教(爾前経)における二乗(声聞・縁覚)の不成仏と法華経迹門における二乗の成仏を特に明らかにするためであると拝されます。ちなみに、浅深の次第からすると、内外相対・権実相対・権迹相対・本迹相対・種脱相対となります。
 一般的な五重相対について、概略を記します。
 内外相対とは、内道、すなわち仏教と外道や儒教等、仏教以外の教えとの比較相対で、内道は三世に亘る仏道の因果の理を説くので勝れ、外道は六道にあっても適切な三世に亘る因果の理法を説かないので劣ることから内道が勝れます。
 大小相対とは、大乗教と小乗教の比較相対で、大乗教は自他共に救うので勝れ、小乗教は自己の解脱のみを求め、他の衆生を救うことができないので劣ることから大乗教が勝れます。
 権実相対とは、権教(爾前経)と実数(法華経)の比較相対で、実教は、前半迹門では諸法実相を軸として二乗(声聞・縁覚)の成仏を明かし、後半本門では仏の久遠における成道と常住の御化導を説くので勝れ、権教は二乗の成仏を説かず、仏も始成正覚(釈尊が今世において成仏したこと)の域を出ないので劣ることから実教が勝れます。
 本迹相対とは、実数である法華経の迹門と本門の比較相対で、本門は仏の久遠の成道を説き明かすので勝れ、迹門は始成正覚の垂迹(本仏が衆生救済のために、敢えて仮の仏の姿として現われること)の仏の法なので劣ることから法華経本門が勝れます。
 種脱相対とは、本門の中心寿量品における文底下種の仏法と文上脱益の仏法の比較相対で、文底本因下種の仏法は、成仏の根源である下種の本法と久遠元初凡夫即極の本仏による御化導を顕わすので勝れ、文上脱益の仏法は、本果久遠五百塵点劫における色相荘厳の垂迹化他の仏の成道と本門脱益の法を顕わすまでなので劣ることから文底下種の仏法が勝れます。
 最後の種脱相対によって説き明かされた文底下種の妙法こそ、末法出現の御本仏大聖人によって建立される真実の妙法であり、末法の一切衆生の成仏の根源です。

成仏の直道を歩む

『開目抄』に、
「我並びに我が弟子、諸難ありとも疑ふ心なくば、自然に仏界にいたるべし。天の加護なき事を疑はざれ。現世の安穏ならざる事をなげかざれ。我が弟子に朝夕教へしかども、疑ひををこして皆すてけん」(同 五七四n)
と仰せです。
 平時には強盛な信心を貫いているように見えても、ひとたび身に迫る大難が発生すると、保身の上から、あるいは疑念を抱いて信心から離れる人がいます。
 しかし大聖人は、苦境に立たされた時、直ちに諸天の加護を得られなかったとしても、常に御本尊に対しての絶対の信を忘れずに自行化他に徹すれば御仏智が用き、やがて必ず一切の問題を克服し、成仏の大功徳を得ることができると御教示されています。
 こうして極寒の佐渡で『開目抄』を著わされ下種仏法の主師親三徳を顕わされた大聖人は、この後も、およそ二年を佐渡で暮らされることとなります。