平成19年7月1日付
日蓮正宗の基本を学ぼう
          折伏とは B
@折伏の心構え 
       ━━衣座室の三軌━━
 私たちの折伏弘教の心構えとして、『法師品第十』には「衣座室の三軌」が説かれています。
 衣座室の三軌とは、如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に座して、怠ることなく、広く妙法を説き弘めることで、日蓮大聖人様は、「衣とは柔和忍辱の衣、当著忍辱鎧是なり。座とは不惜身命の修行なれば空座に居するなり。室とは慈悲に住して弘むる故なり。母の子を思ふが如くなり」(御書一七五○n)と示されています。

「如来の衣」
「如来の衣」とは「柔和忍辱の心」を持つことで、柔和とは三大秘法の教えに、正直に深く帰依することであり、忍辱とは鎧とも示されるように、いかなる恥辱にも耐え、いかなる危害をも忍んでいくことです。私たちは、「御本尊様への確信に満ちた姿勢と言動」をもって折伏を行じることが大切です。あやふやなことを言っても、相手の心に正しく伝わりません。確信ある行動が、相手の心に響くのです。また、唱題や折伏を行じていけば、魔の用きが活発になり、様々な問題が生じてきます。正法を害せんとする魔の用きに対して、自らの信心を奮い起こし、耐え忍ぶ覚悟が必要です。この柔和忍辱の心を持って、折伏に励むならば、必ず御本尊様の冥護を蒙り、折伏成就の大きな功徳を得ることができるのです。

「如来の座」
「如来の座」とは、『法師品』に、「諸法空を座と為す」(法華経三三二n)と説かれています。諸法空というのは、一切のものごとは本来空であって実体がないことから、欲得等の執われから離れることをいいます。御法主日如上人猊下は、「一切の煩悩に執われず、一切の執着に執われず、泰然として大聖人様の教えを弘通することであり、まさしくそれは不自惜身命の修行そのものであります」(大白法六八五号)と仰せられています。私たちは凡夫の用きである煩悩や執着、またはしがらみなどに執われずに、ひたすら大聖人様の教えのままに信心修行することが大切なのです。

「如来の室」
 最後に「如来の室」については「慈悲に住して弘むる」とあります。慈悲とは、苦を抜き楽を与えるという意味で、様々な苦しみに喘ぐ人々から、苦しみの原因を取り除き、正法の信仰による安楽を与えようと志す大きな心をいいます。私たちは、我が子を自らの命に代えてでも救おうとする親のごとく、折伏対象者に対して「何としても間違った道から引き返させ、苦しみから救うのだ」と、必死になって折伏を行じていくことが肝要です。時には強い言葉で相手に対して法を説かなければならない時もありますが、慈悲をもって行えば必ず入信に導くことができるでしょう。



A 謗法与同罪から脱する
 大聖人様は『曽谷殿御返事』に、「謗法を責めずして成仏を願はヾ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし」(御書一〇四〇n)と仰せです。たとえ自分自身が謗法を犯していなくても、折伏行に努めなければ、謗法に与同していることとなり、同じ罪を受けます。そこで、第二十六世日寛上人は、「常に心に折伏を忘れて四箇の名言を思わずんば、心が謗法になるなり。口に折伏を言わずんば、口が謗法に同ずるなり。手に珠数を持ちて本尊に向かわずんば、身が謗法に同ずるなり」(御書分段六〇八n)と、身と口と意の三業をもって折伏を行じることが大切であると御指南されています。折伏は仏意に適う修行であり、自分自身の罪障消滅と功徳になるのみならず、順縁と逆縁を問わず、相手を救う尊い振る舞いなのです。

B立正安国の原理と日蓮正宗僧俗の使命
 『立正安国論』において、世に競い起こる様々な災難(三災七難)の根本原因は、人々が仏法の正邪を弁えず、邪宗邪義を信じて正法を信仰しないところにあると明かされています。そして、その解決の方法について、「早く天下の静謐を思はヾ須らく国中の謗法を断つべし」(御書二四七n)「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」(同二五〇n)と、社会に蔓延する邪宗邪義の謗法を断ち、人々が真実の正法に帰依することが急務であると仰せです。そうすることによって、この世界は仏国土となり、真の平和な社会が築かれるのです。また、第二十六世日寛上人は『立正安国論』の「立正」について、「立正の両字は三箇の秘法を含むなり」(御書分段六n)と仰せです。すなわち、真実の正法とは三大秘法であり、三大秘法総在の本門戒壇の大御本尊が「立正安国」実現の根幹です。私たちには、この三大秘法の大仏法を世に打ち立て、邪宗邪義の謗法を破し、あらゆる人々の成仏と安穏な仏国土建設を成し遂げる使命があるのです。平成二十一年・『立正安国論』正義顕揚七百五十年の御命題成就に向かって、日々、唱題行と折伏行に邁進してまいりましょう。