平成19年5月1日付
日蓮正宗の基本を学ぼう
          折伏とは A
末法と折伏行
 法華経には、私たちが生きている今の時代を「末法」と説かれ、「五濁悪世」の時と示されています。五濁悪世とは、人々の煩悩や誤った思想によって個々の生命や社会全体が濁り、さらに時代そのものが濁る、そういう時であるということです。実際に昨今の世相を見れば、まさに経文通りであることは明らかです。
『立正安国論』に、
「世皆正に背き人悉く悪に帰す(中略)足を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる」(御書 二三四n)
と仰せの通り、恐るべき大災難が
起こるのは、ひとえに正法に背いた邪宗教の蔓延によるのです。
 人心を誑惑し、不幸に貶める邪宗教を打ち破らなければ、ますます不幸と混乱に満ちた世の中になることでしょう。
 末法の一切衆生を救済される御本仏日蓮大聖人の御化導は、大慈大悲の上から邪宗邪義を徹底して破折し、正義を顕揚される破邪顕正の実践でした。
 このことは『種々御振舞御書』の、
「日本国の一切衆生の法華経を講じて無間大城におつべきをたすけんがために申す法門なり」(同一〇五九n)
との御言葉に明らかです。


 この混沌とした現代にあって、多くの人々は正しい宗教を知らずにいます。意識的ではなくても、知らないということは、正しい仏様とその教えに背いたり、また単なる傍観者となって、横行する邪義謗法の害毒を蔓延させてしまうことになるのです。
 このように、気付かずに謗法を行うこと、また傍観者となって邪宗邪義を放置させてしまうことも、邪宗教が蔓延る温床であり、あらゆる不幸の根源となっているのです。
 大聖人が御自ら示された折伏の基本精神は、こうした謗法に起因する人々の苦悩を除き、即身成仏という最高の楽を与える「抜苦与楽」の行動にあるのです。

折伏とは慈悲行
折伏は、仏様の大慈大悲の発露です。『諌暁八幡抄』に、
「只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり。此即ち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり」(同一五三九n)
と仰せです。
 大聖人の一切衆生に対する忍難弘通は、ひとえに衆生を愍れむが故の行為、慈悲行にほかなりません。
 大聖人は『四菩薩造立抄』に、
「総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ」(同 三一七〇n)
と仰せなのですから、私たちも一切衆生を救わんとされる大聖人の大慈悲のお振る舞い(折伏)を我が身に当てて行じていくことこそ、大聖人の真の弟子檀那の姿なのです。

報恩行の実践
 大聖人は『四恩抄』に、
「末代の凡夫、三宝の恩を蒙りて三宝の恩を報ぜず、いかにしてか仏道を成せん」(同 二六八n)
と、末法の衆生は下種三宝尊の御恩を蒙っても、その御恩に報いようとしない、そのような不知恩な姿勢で、一体どうして真の幸福を得て成仏を遂げることができるであろうか、と仰せです。
 また釈尊は法華経『嘱累品』に、
「末来世に於て、若し善男子、善女人有って、如来の智慧を信ぜん者には、当に為に此の法華経を演説して、聞知することを得せしむべし(中略)汝等、若し能く是の如くせば、則ち為れ、已に諸仏の恩を報ずるなり」(法華経 五一九n)
と、末法においてはこの妙法を弘通することこそが、真に恩を報ずることになると説かれ、総本山第二十六世日寛上人も、
「邪法を退治するは即ち是れ報恩(中略)正法を弘通するは即ち走れ謝徳(中略)謂わく、身命を惜しまず邪法を退治し、正法を弘通する、則ち一切の恩として報ぜざること莫きが放なり」(御書文段 三八四n)
と御教示されています。
 つまり私たちが行ずる折伏は、この下種三宝尊に対する真実の報恩になるばかりでなく、恩ある父母や一切の人々への報恩ともなるのです。


 御法主日如上人猊下は、昨年の三月度広布唱題会の砌、、折伏の意義について、
「折伏は一切衆生救済の慈悲行であり、自らの過去遠々劫からの罪障消滅して幸せになるための最高の仏道修行であり、そして仏祖三宝尊に対する最高の報恩行であり、また仏様から与えられた尊い使命であります」(大日法 六八九号)
と御指南されています。
 大聖人の弟子檀那として、地涌の使命と誇りに燃え、真の慈悲行・報恩行たる折伏行に邁進いたしましょう。