歴史の中の僧俗
  
四 条 金 吾 4
  
 四条金吾の妻  日眼女について

 日蓮大聖人が四条金吾に与えられた御書に、
「夫婦共に法華の持者なり」(四条金吾女房御書・御書四六四)
と記され、また、
「たゞ女房と酒うちのみて、南無妙法蓮華経ととなへ給へ」(四条金吾殿御返事・同九九一)
と仰せられているように、四条金吾には、大聖人に帰依し、共に信心に励む妻がいました。
 この女房について、御書では、のちに「日眼女」とも称され、大聖人より数編の御書を賜っています。
 当時の政治の中心地であった鎌倉にあって、主君・同僚からもたび重なる迫害を受け、また身内である一族からも敵対されるなど、常に予断を許さない状況に置かれていた四条金吾にとって、日眼女の内助は大きな心の支えとなっていたことは想像に難くありません。
 文永八(二一七一)年五月の『四条金吾女房御書』(御書四六四)によると、日眼女は懐妊に際して、大聖人より御秘符を賜っており、大聖人はこれをたいへん喜ばれています。
 また『四条金吾殿女房御返事』には、
「今は左衛門殿を師とせさせ給ひて、法華経へみちびかれさせ給ひ候へ。又三十三のやくは転じて三十三のさいはひとならせ給ふべし」(同七五七)
と仰せられていることから、日眼女が文永十二年の時点で三十三歳であり、厄払いを大聖人に願われたことが窺われ、大聖人は夫の金吾に従って信仰に勤しむよう御教示されています。
 さらに弘安二(一二七九)年の『日眼女釈迦仏供養事』にも、
「今の日眼女は三十七のやくと云云」(同一三五二)
とあり、三十七歳の厄年にも大聖人に御祈念を願っています。
 当抄には、
「二十九億九万四千八百三十人の女人の中の第一なりとをぼしめすべし」(同一三五三)
と仰せられており、この内容からも、信心強盛であった日眼女の人物像を彷彿とさせます。この頃、大聖人より日眼女との法号を授与されたと推察され、日眼女には弘安三年二月に、四条金吾とは別に、大聖人より曼荼羅御本尊を下付されています。ちなみに、夫婦共に御本尊を授与されているのは四条金吾夫妻のみであり、ほかに例がありません。
 四条金吾に限らず、有力檀越には、その夫を支えた夫人の内助の功があったことが窺えます。

 四条金吾の信心に学ぶ

 既に述べてきたように、四条金吾は大聖人より多くの御書を賜っていますが、そのなかでも特に私達の信仰において肝に銘ずべき要文を紹介します。
 
①此経難持
「受くるはやすく、持つはかたし。さる間成仏は持つにあり。此の経を持たん人は難に値ふべしと心得て持つなり」(四条金吾殿御返事・同七七五)
 文永十二年ごろ、四条金吾の周辺で大きな問題が起こったことをきっかけに、夫婦が信心に対して疑問を抱いたことがあったようです。四条金吾が、「大聖人様の仰せの通りに信仰してきましたが、大難が雨の如く降ってきます」とお弟子に告げた言葉を受けての御教示で、末法の法華経を信仰する者の難に値う覚悟を促されています。法華経の信仰者は、どのような障害があったとしても、魔に負けてはならないことを訓戒されています。

②自受法楽

「法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし。現世安穏・後生善処とは是なり。たゞ世間の留難来たるとも、とりあへ給ふべからず。賢人聖人も此の事はのがれず。たゞ女房と酒うちのみて、南無妙法蓮華経ととなへ給へ。苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ。これあに自受法楽にあらずや。いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(四条金吾殿御返事・同九九一)
 これは、主君である江馬光時から被る不遇や勘当、同僚からの謹言等に嫌気が差し、遁世の思いでも生じたのか、自暴自棄になりかけていた四条金吾を励まされ、いよいよ信心強盛に精進させるべく教導された御指南です。
 私達は「信心しているのになぜ、こんなことになるのだろう」と困難を嫌ってしまいがちですが、大聖人は「苦しいことは苦しいこととして覚悟し、認めて受け入れ、その上でお題目を唱えていきなさい」と仰せです。

③如来の使

「法華経に云はく『若し善男子善女人、我が滅度の後に能く窺かに一人の為にも法華経の乃至一句を説かん。当に知るべし是の人は則ち如来の使ひ如来の所遣として如来の事を行ずるなり』等云云。法華経を一字一句も唱へ、又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使ひなり。然れば日蓮賎しき身なれども教主釈尊の勅宣を頂戴して此の国に来たれり。此を一言もそしらん人々は罪無間を開き、一字一句も供養せん人は無数の仏を供養するにもすぎたりと見えたり」(四条金吾殿御返事・同六二〇)
 大聖人が文永八年九月十二日、竜口の大難を被り、さらに佐渡配流の身となって、世間からも、天からも捨てられたかのような状況のなかで、四条金吾が御供養を送り届けられたことに深謝されたのちに示された御文です。
 私達は今日、御本尊を持ち、お題目を唱えているということは、御本仏日蓮大聖人のお使いとして末法に生まれ合わせているのだ、との自覚に立たなければなりません。
 四条金吾のように、障魔を恐れず、勇猛果敢に折伏を行ずる使命があるのです。
 私達は、一天四海広宣流布のため、まずは平成三十三年の御命題達成に向けて、この因縁と使命を深く自覚できる信心を貫いていきましょう。
  (おわり)