歴史の中の僧俗
  
池 上 兄 弟 2
  
 二度日の勘当

 前回は、大聖人から『兄弟抄』という甚深の御指南を賜った池上兄弟や夫人達が異体同心して、兄の宗仲に対する勘当という苦難を、信心で乗り越えた姿を学びました。
 今回は、建治三(一二七七)年の十一月に宗仲が、再び父康光から勘当を受け、信心を妨げられた様子を見ていきます。
 かねてより池上兄弟から報告を受けていた大聖人は、父親から宗仲に対して再度の勘当があることを予測されていました。
 その予想通り、父の康光は、信心強盛な宗仲と弟の宗長との間を遠ざけるため、いまだ信心が確立していなかった弟に家督を継がせようと画策をしました。
 この勘当の要因は、同年六月の桑ケ谷問答において、康光が帰依していた極楽寺良観の庇護僧である竜象房が、大聖人の弟子三位房に敗北したことにありました。
 良観は、大聖人や門下に対する復讐心から、自分の帰依者であった康光に働きかけて報復しようとしました。康光は良観の傀儡となっていたのです。
 宗仲は、前回の勘当の時と同じく、大聖人の檀越として生涯を貫く覚悟をもって、その信仰はけっして揺らぐことはありませんでした。
 弟の宗長も、身延の大聖人のもとへ御供養をお届け申し上げるなど、大聖人を渇仰恋慕する信心は忘れていませんでしたが、大聖人は、宗仲が二度目の勘当を受けたことで、弟の信心が揺らぐことを危惧されていました。
 前回も紹介したように、大聖人は宗長や夫人に対して、『兄弟抄』御述作ののち、建治三年の間に五通もの御書を認められています。
『兵衛志殿女房御書』(三月二目)
『兵衛志殿御返事』(六月十八日)
『兵衛志殿御返事』(八月二十一日)
『兵衛志殿女房御返事』(十一月七日)
『兵衛志殿御返事』(十一月二十日)

『兵衛志願御返事』の御教示

 ここで、建治三年十一月二十日に大聖人が弟の宗長に与えられた『兵衛志殿御返事』を拝してみましょう。
「千年のかるかやも一時にはひとなる。百年の功も一言にやぶれ候は法のことわりなり。さゑもんの大夫殿は今度法華経のかたきになりさだまり給ふとみへて候。ゑもんのたいうの志殿は今度法華経の行者になり候はんずらん。とのは現前の計らひなれば親につき給はんずらむ。ものぐるわしき人々はこれをほめ候べし。(中略)法華経のかたきになる親に随ひて、一乗の行者なる兄をすてば、親の孝養となりなんや。せんずるところ、ひとすぢにをもひ切って、兄と同じく仏道をなり給へ」(御書一一八三)
と仰せられ、「千年も生い茂ってきた苅茅であっても、火がつけば一瞬で灰になってしまう。百年も掛かって積み上げた功労も、ささいな一言で台なしになってしまう。あなた(宗長)は、父の言葉に従って法華経の敵となり、今まで積み重ねてきた信心の功徳をすべてを水に流してしまおうとしています。もしあなたが父に従って法華経の行者である兄宗仲殿を見捨てるならば、世間の人々は親孝行と誉めるだろうが、それは真の親孝行とはならない。どうか恩愛の絆を断ち、兄と同じく成仏の道を歩みなさい」と御教示されました。
 さらに大聖人は、
「百に一つ、千に一つも日蓮が義につかんとをぼさば、親に向かっていゐ切り給へ。親なればいかにも順ひまいらせ候べきが、法華経の御かたきになり給へば、つきまいらせては不孝の身となりぬべく候へば、すてまいらせて兄につき候なり。兄にすてられ候わば兄と一同とをぼすべしと申し切り給へ。すこしもをそるゝ心なかれ。過去遠々劫より法華経を信ぜしかども、仏にならぬ事これなり」(同)
と仰せられ、「百に一つ、千に一つであっても日蓮の教えに従おうとする信心があるならば『自分は兄と同じ心であり、兄を勘当するのならば、自分も兄と行動を共にします』と父上に強く言い切りなさい。過去遠々劫より法華経を信仰してきたのにもかかわらず、仏に成れなかったという例は結局、こうした困難にひるんで退転してしまったからなのである」
と御教示されました。
 そして、
「しをのひるとみつと、日の出づるといると、夏と秋と、冬と春とのさかひには必ず相違する事あり。凡夫の仏になる又かくのごとし。必ず三障四魔と申す障りいできたれば、賢者はよろこび、愚者は退くこれなり」(同一一八四)
と仰せられ、今こそ兄弟が力を合わせて三障四魔を克服する大事な時に当たっていると御教示され、兄への二度目の勘当を信心根本に乗り越えていくならば、必ずや成仏の境界に至ると御指南されたのです。
 この御書を賜った宗長は、自らの信心を深く反省し、大聖人の御慈悲にお応えしようと強い決意を奮い起こして、決然と父を諌めました。

 康光の入信

 父の康光は、宗仲・宗長の確固不動の信心に驚いたのでしょう。翌年の弘安元(一二七八)年春、二度目の兄宗仲への勘当は解かれました。
 しかも、それからほどなくして、池上兄弟は約二十年間も信心を妨げ続けてきた康光を大聖人に帰依させることができたのです。
 大聖人は康光の入信をめぐって弘安元年九月の『兵衛志殿御書』に、
「殿の御心賢くして日蓮がいさめを御もちゐ有りしゆへに、二つのわの車をたすけ二つの足の人をになへるが如く、二つの羽のとぶが如く、日月の一切衆生を助くるが如く、兄弟の御力にて親父を法華経に入れまいらせさせ給ひぬる御計らひ、偏に貴辺の御身にあり」(同一二七〇)
と仰せられました。大聖人は、たび重なる勘当を乗り越え、父親を折伏し真実の孝養を果たした池上兄弟に対し、あたかも鳥の両翼のようであり、さらには太陽や月が一切衆生を照らす役目にも譬えられ、その信心を称賛されています。
 私達は、三障四魔にもけっしてひるむことなく、父親への折伏を成就した池上兄弟の真実の親孝行の姿を学び、さらなる下種折伏に励んでまいりましょう。