日蓮正宗への入信
 
 日蓮大聖人の教えのすべては、血脈相承(けちみゃくそうじょう)によって代々の御法主上人に受け継(つ)がれ、今日まで日蓮正宗に脈々と伝えられています。この正法の宗旨(しゅうし)である日蓮正宗に入信し信仰に励むことによって、成仏という揺(ゆ)るぎない幸福境界を確立することができるのです。
 入信にあたっては、今までの誤った思想や信仰の妄執(もうしゅう)を断(た)ち切り、三宝への尊信と不退転の決意をもって入信することが肝要です。
謗法払い
 謗法払いとは、日蓮正宗への入信にあたって、それまで所持してきた他宗の本尊や仏像・神札・お守りなどを処分することをいいます。謗法払いを行う理由は、それら他宗の本尊などには人を救うどころか、正法の信仰を惑わし、人を不幸にする魔の働きがあるからです。もし、この正法に他の邪(よこしま)な宗教を混(まじ)えて修行するならば、正しい信仰の功徳を消し、大きな罪業を積むことになります。
 日蓮大聖人は、このことを、
 「何(いか)に法華経を信じ給ふとも、謗法あらば必ず地獄にをつべし」(曾谷殿御返事 新編一〇四〇)
と説かれ、いかに正法を持(たも)っても少しでも謗法があれば、堕地獄のもとになると仰せられています。
 成仏の大利益は、日蓮正宗の仏法に余事(よじ)を混えず、唯一無二の御本尊を清浄(しょうじょう)な心をもって信ずるところに、はじめてもたらされるのです。
御授戒・勧誡式
 入信者は、謗法払いをした後、本宗寺院で御授戒(ごじゅかい)を受けます。この御授戒は、受ける入信者の立場からは「受戒」といい、授(さず)ける導師の立場からは「授戒」となります。
 本宗の御授戒は、一切の謗法を捨てて日蓮大聖人の教えを信じ、三大秘法の御本尊を受持信行していくことを誓う崇高(すうこう)な儀式です。入信者は寺院の御宝前において、読経・唱題の後、御本尊を捧持(ほうじ)した導師から戒文(かいもん)を受け、この正法を現当二世にわたって持(たも)っていくことを誓います。
 大聖人は、
「此の法華経の本門の肝心妙法蓮華経は、三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為(せ)り。此の五字の内に豈(あに)万戒の功徳を納(おさ)めざらんや。但し此の具足の妙戒は一度持って後、行者破らんとすれども破れず。是(これ)を金剛宝器戒とや申しけん」(教行証御書 新編一一〇九)
と仰せられているように、妙法を受持するところに無量の功徳がそなわると説かれています。また妙法蓮華経の戒は金剛宝器戒といって、一度受持すれば永久に破られることなく、その人の生命に存続します。したがって、たとえ退転(たいてん)して悪道に堕(お)ちたとしても、その人は戒の功徳によって再び妙法に縁し、成仏を遂げることができるのです。
 また、日蓮正宗の信徒でありながら、正しい信仰を見失って退転した人が、再び本宗の信仰を求め、入信を願う場合は、寺院において勧誡(かんかい)を受けます。このときは二度と謗法を犯すことなく、信行に精進することを御本尊に誓います。

御本尊下附
 御本尊は信仰の対境(たいきょう)であり、成仏得道には欠(か)かすことのできない功徳の根源です。
 御本尊の下付(かふ)は御授戒後、本人が御本尊を守護し御安置できる状況であれば、その願い出により下付されます。下付とは、総本山より末寺をとおして、御貸し下げされるということです。日蓮大聖人は、
「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ」(経王殿御返事 新編六八五)
と仰せられているように、御本尊は御本仏大聖人の御魂魄(ごこんぱく)であり御当体です。したがって、御本尊を我が家に御安置することは、生身(しょうしん)の大聖人をお迎えすることと同じであり、真心からのお給仕を心がけることが大事です。
 また、御本尊を御安置する際には、僧侶の導師により入仏式を行います。僧侶が出仕できない場合は、僧侶の指示により法華講の役員等が執行することになります。
御本尊の御安置とお給仕
 御本尊を御安置するためには仏壇が必要ですが、仏壇にはいろいろな種類のものがありますので、それぞれの事情と状況に応じたものを使用すべきです。仏壇の大きさや機能・素材などに執われる必要はありません。
 仏壇は、住居の中で最良な場所を選び、勤行のときに御本尊が目の高さより、やや上方に拝することができるように置きます。また仏壇の上に物を置いたり、額を飾ることは厳に慎むべきであり、仏壇とその周辺は常に清潔にしておくことが大切です。
 御本尊へのお給仕は、御本尊即(そく)大聖人と拝する心をもって行うべきです。日々、仏壇を拭(ふ)き清め、お水・仏飯(ぶっぱん)をお供えし、樒(しきみ)の水を換え、灯明(とうみょう)をつけ、香を焚(た)くことは、御宝前を荘厳し、御本尊への供養となって、自らの功徳となるのです。

【お水】
 仏にお供えする水を梵語(サンスクリット語)では閼伽(あか)といい、「功徳水」と意訳します。御宝前には、くみぞめの清らかなお水を朝の勤行の前にお供えし、夕の勤行の前に下げます。お水には樒一葉の葉先を切り、その先端部分を入れます。なお、当宗では湯茶は供えません。

【仏飯】
 仏飯のお供えは、炊(た)きたての御飯を仏器(ぶっき)に盛り、家族の者が食する前にお供えします。
 その際、「南無下種三宝御報恩謝徳御供養の為、南無妙法蓮華経」と観念し、鈴を三打して題目三唱の後にお下げします。

【三具足・五具足】
 御宝前の荘厳には、三具足(みつぐそく)、または五具足を用います。三具足は左から華(はな)立て・香炉(こうろ)・燭台(しょくだい)の順に並べ、五具足は華立てと燭台を一対ずつにしたものです。
 華は、色花ではなく樒を用います。色花は美しく見えますが、やがて色もあせて散ってしまいます。
 これは仏法からみれば無常の理を表しています。これに対して樒は、常緑樹の香木(こうぼく)であり、その香りは邪気(じゃき)を払い、仏前を清浄に保つ働きがありますから、常住にして尊極(そんごく)の御本尊を荘厳するのにもっとも適したものです。なお、樒を産しないところでは他の常磐木(ときわぎ)を用います。
 香を焚くことは、仏前を清浄にし御本尊に香りを供養するためです。薫香(くんこう)は静穏(せいおん)を旨とし、灰の散乱を防ぐため線香は立てずに横にねかせます。
 灯明は、御本尊に明かりをお供えすることによって仏前を荘厳するものです。法華経をはじめ多くの経典には灯明供養の甚大(じんだい)な功徳が説かれてます。