日蓮正宗の年中行事 
「大日蓮 平成24年 7月号」
盂蘭盆会(お盆) 
 毎年七月十五日に、先祖の供養を行う仏教行事を「お盆」、詳しくは「孟蘭盆会(うらぼんえ)」と言います(地方によっては八月に行うところもあります)。

「孟蘭」と「盆」の意味
 「孟蘭」とは、梵語で「倒懸」という意味で、餓鬼道の飢えや渇きの苦しみが、あたかも逆さにつるされた苦しみに似ているところからこのように言われ、「盆」とは、それを救う器という意味です。
 つまり、悪道に堕ちて苦しんでいる者を救うために、百味の飲食を盆に盛って、聖僧を通じて仏に供養し、その苦しみを取り除いて成仏に導くという儀式です。
 この孟蘭盆会が日本で行われるようになったのは、仏教が伝わって約百年後の、第三十七代・斉明天皇の時代であると伝えられていますが、その根本は仏説孟蘭盆経に依っています。

盂蘭盆会の起源
 昔、釈尊の十大弟子のなかに目連尊者という神通第一と言われたお弟子がいました。この目連尊者は、幼い時、生母と死に別れたので、生きていた時に孝行ができなかったことをたいへん残念に思い、それを何よりも悲しく思っていました。
 そこで、母の死後の様子を知るために、阿羅漢の悟りによって得た神通力をもって三千大千世界を見渡したところ、驚いたことに母の青提女は、生前、仏様への供養を惜しんだ罪によって、死後、餓鬼道に堕ち、見るも無惨な姿で苦しんでいました。
 目連尊者は、早速、神通力をもって食物を送って母を救おうとしましたが、どうしたことか、食物は火となって燃え上がり、それを
消そうとして注いだ水も、かえって油となってますます燃え広がり、火だるまになった母は、悲鳴をあげて泣き叫ぶのでした。
 自分の力ではどうすることもできないことを知った目連尊者は、急いで釈尊のもとへ駆けつけ、母を救う道を乞いました。
 釈尊は、静かにこう言いました。「目連よ、常々善いことをしていれば善い結果が得られ、悪い種子をまけば悪い実が生ずるのです。おまえの母は、自分の欲ばかりに目がくらみ、恵むということを知らなかった。だから死んだあとまでも欲心にしぼられて、そのように苦しまなければならないのです。これを因果応報と言います。
 今は、おまえが一日も早く仏の正しい道を悟ることです。そうすれば、おまえの母の浅ましい心も直るであろう。
 だが、差し当たり、この七月十五日に百味の飲食を供え、十方の聖僧を招いて供養しなさい。そうすれば、母を餓鬼道から救い出すことができよう」。
 目連尊者は、その教え通りに実践して、母を餓鬼道一劫の苦からのがれさせることができました。
 喜んだ目連尊者は「この大功徳を自分一人にとどめず、未来の人々にも伝えて、その人達の父母はもとより、七世の父母にも功徳善根を積ませてあげたい」と仏に願ったところ、釈尊は「それは、私の思うところである」と、一座の大衆に対して、のちのちまでもこの仏事を怠りなく行うことを勧められました。これが盂蘭盆会の起源となったのです。


真の成仏は南無妙法蓮華経による
 さて、目連尊者が神通力をもってしても母を救うことができなかった理由は、目連尊者が悟った阿羅漢果とは小乗の悟りであり、最高の法華経の悟りには遠く及ばなかったからです。
 釈尊の教えに従って、ようやく母を餓鬼道から救い出すことができたものの、それは、聖僧の唱えた妙法の功徳によって、わずかに餓鬼道一劫の苦を救ったに過ぎませんでした。
 日蓮大聖人が、
「目連が色心は父母の遺体なり。目連が色心、仏になりしかば父母の身も又仏になりぬ」
(盂蘭盆御書・御書一三七六n)
と仰せの通り、真の成仏は目連尊者がのちに法華経を信じて南無妙法蓮華経と唱えた時に、まず自分自身が多摩羅跋栴檀香仏という仏に成り、その功徳によって父母を成仏に導くことができたのです。
 しかしながら、目連尊者の母を救うことができた文上の法華経は、在世脱益の法に過ぎず、今、末法において、これに固執していては先祖の成仏は望めないし、目連尊者が母を苦しめたと同じ苦汁を、先祖になめさせるということも知らなくてはなりません。
 つまり、末法における文底の法華経とは、御本仏日蓮大聖人の御当体である人法一箇の御本尊以外になく、この御本尊に南無妙法蓮華経と唱えた時、初めて境智冥合して成仏の境界を得るのであり、その大功徳によって先祖も成仏ができるのです。
 本宗においては、常盆・常彼岸といわれ、毎日がお盆であり、お彼岸であると心得て、先祖の供養を怠りなく行っていくことは言うまでもありませんが、ここに「孟蘭盆会」という特別な法要日を設けることも、けっして意味のないことではありません。
 つまり、孟蘭盆会に参詣することによって、先祖を供養すると同時に、各々の信心に新たな心構えを持たせ、また、間違った教えで孟蘭盆会を行っている人々に、本当の正しいお盆を教えて、成仏に対する認識を改めさせるのです。
 そして、爾前教の行事から真実本門の行事に引入し、さらに御本尊への結縁を深めていくという意味から、大事な行事と言えましょう。
 しかも、草木成仏の深い原理に基づき、塔婆を立てて先祖の菩提を弔いますが、これも塔婆に書写した妙法蓮華経の功徳を受けて、各精霊は霊山浄土に安住することができるからです。
 いずれにせよ、末法万年の闇を救う御本尊のもとに、まず自分自身が仏に成ることが肝要であり、その功徳を先祖に回向することこそ真実の孟蘭盆会であって、末法今時においては、本宗だけが正しい孟蘭盆会を行っていると言えるのです。