日蓮正宗の年中行事 
「大日蓮 平成24年1月号」
宗祖御誕生会(日蓮大聖人御誕生法要) 
 宗祖御誕生会は、御本仏日蓮大聖人の末法御出現をお祝い申し上げ、御報恩のために、お誕生日の二月十六日に奉修される行事です。

 末法の衆生は、釈尊の仏法では救われない
 
釈尊滅後一千年を正法時代、次の一千年を像法時代、そのあとを末法時代と言います。そして、正像二千年間は釈尊の教えで利益もありますが、時を経るにつれてその仏法の力は薄れ、末法の時代に入ると「末世法滅」といって釈尊仏法の力がなくなり、闘諍(たたかい)や言訟(あらそい)が盛んとなり、人心も荒廃して濁悪の時代となって、釈尊の仏法では人々を救うことができなくなったのです。
 このような時代に対して法華経には、涌出品に現れた上行等の四菩薩が再び出現して衆生を救済されることが予証されてあり、神力品に、
「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅す」
(法華経五一六n)
と、その赫々たる人格活動を説かれています。
 我が国では、平安末期から鎌倉時代へ移るころになると、次第に悪世末法の相を現し始めました。近親相争う保元・平治の乱、さらに承久三(一二二一)年には未曽有の大事件、前代未聞の下剋上である承久の乱が起こり、はなはだしく人倫の乱れた世相となってきました。
 また、打ち続く天変地夭等によって穀物も実らず、大勢の餓死者を出し、疫病が流行し、盗人が横行し、目をおおうような悲惨な世となったのです。これを仏教上から見ると、釈尊の予言のとおりに、世は正像二千年を過ぎて「闘諍言訟、白法隠没」の末法時代に入り、釈尊の仏法がまさに隠没する姿を示したものと言えます。

  一切衆生を救済する御本仏の御誕生

 この時に当たって、「後五百歳広宣流布」 の金言どおり、日蓮大聖人が末法万年尽未来際の一切衆生を救済する御本仏として、日本に御誕生になったのです。すなわち保元の乱が起こって六十六年後、承久の乱の翌年、末法に入って百七十一年、貞応元(一二二二)年二月十六日に、貰名次郎重忠公を父とし、梅菊女を母として、安房国長狭郡東条郷片海(現在の千葉県鴨川市)で誕生あそばされ、幼名を善日麿と称されました。
 大聖人は、御自身の出生を御書のなかに、
「海人が子なり」(御書一二七九n)
「旃陀羅が子なり」(同四八二n)
「民の家より出でて頭をそり袈裟をきたり」(同一二五八n)
と仰せられているように、漁師の子として誕生なされました。
 これは、示同凡夫のお姿として出生され、自ら民衆のなかに入って、末法濁悪の下劣の機根である一切の大衆を救済されるためにほかなりません。
 安房国東条郷には天照太神の御厨があり、日本第一の地であると言われていました。その地に誕生されたことも深い意義があります。『聖人御難事』に、
「安房国長狭郡の内、東条の郷、今は郡なり。天照太神の御くりや、右大将家の立て始め給ひし日本第二のみくりや、今は日本第一なり」(同一三九六n)
と示されています。
 また、釈尊の入滅が二月十五日であるのに対し、大聖人が二月十六日に誕生されていることは、釈尊の熟脱仏法が没して、この国に末法下種の御本仏が出現されるという不思議な因縁を示すものと言えましょう。

  出生時の瑞相
 大聖人の御出生に当たっては、種々の不思議な瑞相のあったことが伝えられています。日興上人はこれを承って、『産湯相承事』として記し置かれています。
 ある夜、母君が比叡山に腰をかけ、近江の琵琶湖の水で手を洗い、そして富士山から昇った日輪を胸に懐いた夢を見ました。不思議に思って父君に話したところ、父もまた不思議な夢を見たというのです。それは、虚空蔵菩薩がかわいらしい児を肩に乗せて現れた。そして、その虚空蔵菩薩の言うことには、この児は上行菩薩であり、行く末は一切衆生を救う大導師となる方である。この児をあなたに授けよう、と言って消えてしまった。実に不思議なことである、と語り合ったのです。このあとで、母君は懐妊を覚えたということです。
 また、御誕生の日にも次のような夢を見ました。一本の青蓮華の花が開いて、そこから泉が涌き出ました。その清水をもって産湯とされ、余った清水を四方へ注ぐと辺り一面は金色に輝き、周りの草や木には一斉に花が咲き実がなったということです。まことに末法の御本仏の御出現にふさわしい、不思議な、そして荘厳な霊夢であったと拝されます。

 総本山で奉修される宗祖御誕生会

総本山では毎年二月十六日に五重塔の扉を開いて読経唱題し(お塔開き)、末寺においてもそれぞれ法要を修して、大聖人の御誕生をお祝い申し上げています。
 法華経宝塔品において突然、多宝塔が涌現し、多宝仏が、釈尊の説く法華経は「皆是れ真実なり」と証明したのは、極まるところ寿量文底の南無妙法蓮華経、すなわち久遠元初名字の妙法蓮華経の真実を証明していることになるのです。
 また『阿仏房御書』に、
「阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房」(御書七九三n)
と仰せになっているように、私達の当体が本来、宝塔であり、題目を唱える時、私達の当体は宇宙の全体生命である妙法と顕れることになるのです。五重塔は一切の万物が生まれ出る本源を意味し、特に、塔の中に大御本尊を安置してありますので、人即法、法即人、人法体一の意義の上から、御本仏大聖人の御当体の大霊格と拝することができるのです。
 二月十六日は一往、大聖人が安房国に貫名次郎重忠公を父とし、梅菊女を母として誕生された日としますが、再往は久遠元初の御本仏出現の日であり、御本尊すなわち宝塔涌現の日でもあります。
 この意義のもとに、総本山では御法主上人が大衆を従え、御影堂において御報恩の献膳・読経・唱題ののち、五重塔において「お塔開き」の法要を奉修しています。このお塔開きは、大聖人の末法御出現を表すのであり、また五重塔が西方に向けて建てられているのは、大聖人の仏法が中国・インドを経て世界に広宣流布する様子を、太陽が東から昇って西を照らし、全世界に光明を及ぼすのになぞらえているのです。