日蓮正宗の年中行事 
「大日蓮 平成24年 3月号」
御霊宝虫払会 
  毎年四月六日・七日の両日に行われる霊宝虫払会は、秋の宗祖御大会とともに、総本山で奉修される宗門の二大法要の一つとされます。

信行倍増に資する大事な儀式
 宗祖日蓮大聖人以来、七百五十年の長い間、宗門に伝えられてきたたくさんの重要な宝物を後世に永く伝えていくため、年に一度、湿気を払い、害虫を除くなど保存に必要な手入れをし、併せて多くの参詣者に披露して信行倍増に資する大事な儀式です。
 この霊宝虫払会は、遠く第二祖日興上人の法宝伝持の御精神を基とします。しかし、実際の儀式については、残念ながら文献として残されていません。折々、お弟子方を督励しては虫払いをされたことと思われます。
 記録にとどめられているものとしては、第十四世日主上人の時代(十六世紀)に、七月あるいは八月に行った様子を記した正文書があり、これが古いほうと言えましょう。
 そののち、江戸時代以降はだいたい六月に行われてきたようです。しかし、当時は三年おき、あるいは一年おきでした。

 現在の霊宝虫払会
 現在、総本山における霊宝虫払会は「御霊宝虫払大法会」として、毎年四月六日・七日の両日に奉修されています。
 これは、宗祖日蓮大聖人が御誕生になられた貞応元(一二二二)年二月十六日が、現在の暦では四月六日に当たることにちなんでいます。
 大法会は、まず第一日の四月六日、最初の行事である御開扉の折、読経のあと唱題の最中に、御法主上人が自ら奉書をもって戒壇の大御本尊御煤払い・お風入れの儀をされます。
 夜に入ってからは、あかあかとかがり火が燃えさかる参道を、大勢の僧侶を従えられた御法主上人が、しずしずと御影堂へ向かわれ、内陣中央にしつらえられた高座に登られて、御書講をされます。さらにこのあと、僧侶による布教講演会も催され、一日目の行事が終わります。
 第二日の七日は、午前二時半から客殿において勤行衆会(丑寅勤行)が奉修され、御法主上人の広布成就の御祈念に随従して、出仕の僧侶や参詣信徒も祈願をします。
 午前七時、御法主上人は再び御影堂へ出仕され、例月のとおり第二祖日興上人の御報恩御講を奉修されます。
 次いで午前九時から、客殿において霊宝虫払いの行事が開始されます。これに先立って、御宝蔵に収納されている数々の重宝が客殿へ運び入れられます。重宝は輪宝、鶴丸、亀甲の紋がそれぞれ入っている三つの黒漆塗りの長持に納められています。それぞれの長持を蓮台に乗せ、金欄の打敷で覆って僧侶がこれを担い、御法主上人の先導される輪宝長持を先頭に鶴丸、亀甲の順に参列者の待ち受ける客殿にお移しします。ここで大石寺総代が立ち会って長持の封印を切り、輪宝長持から大聖人の「御生骨」と「雨の祈りの三具足」が取り出され、正面の御前机の中央に安置されます。
 続いて、御法主上人と御隠尊上人の読み上げに従って、大聖人御筆「師資伝授の御本尊」をはじめ、第二祖日興上人、第三祖日目上人以来、御歴代上人の御本尊等が内陣と外陣の特設柱に奉掲されます。
 最後に、大石寺が創建された時、日興上人から日目上人に授与された大幅の「御座替わり御本尊」が外陣中央に奉掲され、ここで読経唱題があります。
 このあと、それぞれの御本尊等について詳しい説明が行われます。総本山には、大聖人から現在に至るまで、代々の御法主上人の御本尊百二十幅余が秘蔵されていますが、実際にこの霊宝虫払会に奉掲されるのは大聖人から第九世日有上人まで、六十幅余りです。
 御本尊の虫払いが終わると、今度は御真翰披露の儀に移ります。これは大聖人がお書きになった御書をはじめ、日興上人、日目上人などが書かれた書物やお手紙を紹介・披露する儀式です。
 御法主上人が内陣中央の高座に登られ、読経・唱題ののち「身延相承書・池上相承書」(古写本)と、日興上人が譲状として日目上人に与えられた『日興跡条々事』を読み上げられます。引き続き『春之祝御書』『三三蔵祈雨事』『減劫御書』『宝軽法重事』『白米一俵御書』『闇浮提中御書』『衆生心身御書』『諌暁八幡抄』『筵三枚御書』など、日ごろ親しんでいる御書の名が次々に出てきます。
 これらの御真翰は、披露役の僧侶が奉持して、参列者に披露しながら内陣および外陣に設けられた通路を巡り、披露後は元の長持に納められ、儀式は終了します。
 これら大聖人御真筆の御書二十六巻は、昭和四十二年六月十五日、国の重要文化財に指定されました。
 このほか、日興上人御書写の『立正安国論』『法華取要抄』『四信五品抄』や法華経八巻、さらに『上野殿御返事』など、たくさんの御消息の写しや、お弟子に与えられた手紙、第三祖日目上人、第四世日道上人の手紙、あるいは大聖人の伝記のなかで最も古いものとされる、日道上人の著された『御伝土代』、第二十六世日寛上人御正筆の『六巻抄』など、七百五十年の歴史と伝統の重みを示す数々の重宝が披露される様子は、まことに壮観です。

日興上人の令法久住の御精神
 大聖人が御入滅ののち、本弟子六人のなかの日昭・日朗などの五人は「大聖人が仮名文字で書かれた手紙は、御供養の返礼として愚痴の者を導くためのものであり、これを残しておくことは、大聖人の恥を後世に残すようなものだ」といって、すき返したり、焼いたりしました。これは、結局「大聖人は末法の一切衆生を救う仏様である。したがって、大聖人の仰せられたお言葉、書き残されたお文字は仏様の御金言である」という、最も大事なことを、血脈相承のない五老僧達がよく解っていなかったためと言えます。
 正嫡第二祖日興上人は、その心得違いを諭すかたわら、努めてあちらこちらに散らばっている御書を集めたり、重要な御書の目録を作り、解説を書き残されました。また、自ら筆を執って御書を書き写されるなどして、大聖人の尊い教えがなくなってしまうことを防がれたのです。
 こうした日興上人の厳然たる令法久住の御精神を受け継いで、代々の御先師方が身をもって守り、信徒の方々が外護してこられたからこそ、今日、我々は尊い聖教を目の当たりに拝観することができるのです。
 この霊宝虫払会の儀式をとおして、大聖人の仏法を一分の誤りもなく正しく伝え来たった本宗の伝統に思いをいたし、正法護持の大精神を学ばなくてはなりません。そして、この唯一絶対の大白法を信じまいらせて、社会にしっかりと根を張り、妙法広布への前進を誓っていくところに、大きな意義があると言えましょう。