日蓮正宗の年中行事 
「大日蓮 平成24年11月号」
御大会(御会式) 
 宗祖御大会(お会式)とは、宗祖日蓮大聖人が弘安五(一二八二)年十月十三日に御入滅あそばされ、滅不滅・三世常住のお姿を示されたことをお祝いする儀式で、春の御霊宝虫払大法会とともに、本宗の二大法要の一つです。
 お会式と言えば、一般には大聖人の御命日の法要のことと考えていますが、大聖人を末法有縁の下種の御本仏と仰ぐ本宗においては、その御入滅は非滅の滅であり、真実には常住此説法の大導師におわしまし、末法万年の闇を照らし、濁悪の衆生を救済し給うと拝するのです。
 よって、お会式は大聖人の永遠不滅の御本仏としての御境界を拝する、お祝いの儀式なのです。

御入滅時の瑞相
 「会式」という語は、もともと宮中で行われた諸法要のことで、その名称をとって宗内の各法要にあてたものと言われます。そのなかでも、十月十三日は特に重要な法要なので「大会式」と名づけ、総本山では古来「御大会」と称しています。
 大聖人は、今を去る七百三十年の昔、弘安五年十月十三日、武蔵国池上(現在の東京都大田区)の右衛門大夫宗仲の館において、大勢の弟子や信徒が読経・唱題申し上げるなか、安祥として御入滅あそばされました。
 第二祖日興上人の『宗祖御遷化記録』等によると、御入滅は辰の時とあるので、現在の午前八時ごろになりますが、その時は大地が震動し、庭の桜に時ならぬ花が咲いたと伝えられています。このことからも、末法の御本仏の御入滅を、宇宙法界の生命が挙げてこれを惜しむと同時に、滅不滅の仏法をお祝い申し上げた様を、ほうふつとして偲ぶことができます。

お会式の意義
 さて、お会式の意義について、いくつかのことが考えられますが、第一に久遠常住の仏の非滅現滅、非生現生の不可思議のお命を拝さなくてはなりません。大聖人が御本仏であらせられるということは、そのまま法界の大生命体たる南無妙法蓮華経であるということでもあります。
 そしてまた、この世に身を受けたことは一個の個に過ぎないということです。この一個の個に過ぎない示同凡夫のお姿も、入滅するということによって法界の大生命体に帰一することになります。『御義口伝』 に、
「無常常住・倶時相即」(御書一七四五n)
とあるように、大聖人の御入滅は、一往は無常のように見えますが、大地が震動し、季節はずれの桜が開花したことは、事実の上において「現有滅不滅」であり、無常常住・倶時相即がまことの諸法実相であることを示すものです。
 また『御義口伝』に、
「妙法と唱ふれば無明法性体一なり」(同一七四八n)
「妙を以ての故に即なり」(同一七二五n)
とあります。
 この凡夫即仏、依正不二、色心不二、生死不二の相即は仏法の教えの根本であり、色々の教えは結局、この不二相即に帰すのが本意です。これを如実に示されたのが御入滅なのです。
 第二に、仏様は三世にわたって三身が常住すると説かれますが、そのお姿やお住まいはどうか、ということが問題です。法華経如来寿量品の長行に、
「必ず当に難遭の想を生じ、心に恋慕を懐き、仏を渇仰して、便ち善根を種ゆべし。是の故に如来、実に滅せずと雖も、而も滅度すと言う」(法華経四三四n)
とあり、さらに重ねて自我偈には、
「衆生を度せんが為の故に 方便して涅槃を現ず 而も実には滅度せず 常に此に住して法を説く」(同四三九n)
とあります。
 仏様は三世に常住されるのですが、常に住していると、衆生はいつでも仏様にお値いできると安心し、つい仏道修行を怠ります。そこで、衆生教化のための一つの方便として寂滅の相を顕し、衆生に仏様には長く値い難いとの思いを抱かせ、仏道修行を勧められるのです。
 では、寂滅の相を示されたあとは、仏様の命はどこにおわすのでしょうか。
「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ」(御書六八五n)
との御金言を拝するとき、それは十界互具の大漫荼羅のなかにあらせられ、なかんずく大聖人出世の御本懐たる本門戒壇の大御本尊として住されているのです。
 また、この御本尊の法体は、第二祖日興上人、第三祖日目上人、第四世日道上人と御歴代上人に相承され、御当代上人の御一身に具し給うところです。
 このように、滅不滅である御本仏の出現をお祝いするのがお会式の儀式です。
 第三には、大聖人御入滅後の弟子や信徒の在り方が、正しい信心修行を決定する上に、非常に重要となります。
 本弟子(重要な弟子)六人と言われるなかで大聖入滅後、弟子の道を全うし、正しく法灯を継承したのは、御在世中、常にお側でお給仕申し上げた第二祖日興上人お一人です。厳しい師弟相対の上に、大聖人の深い仏法を余すところなく体得し、大聖人の正義を敢然として立て通されました。
 したがって、日興上人の門家のみが正しい信条と法義に基いたお会式の行事を七百三十年来、奉修してきたのです。
 その証拠の一つを挙げると、大聖人の御化導の目的は正法治国にあり、この旨を述べられたのが『立正安国論』です。
 日興上人、日目上人をはじめ、代々の御法主上人も、たびたび国家諌暁をされました。この故に、本宗のお会式では『立正安国論』ならびに「申状」の捧読を行い、大聖人の御精神を現代に示し、広宣流布を御宝前に祈誓申し上げるのです。

 総本山における御大会
 次に、お会式の行事について述べてみましょう。
 お会式は、総本山をはじめ全国の末寺でも執り行われます。ともに、この日は桜の造花で仏前を荘厳します。
 総本山の御大会は現在、十一月二十・二十一日の両日にわたって行われます。これは、弘安五年の太陰暦の十月十三日が、同年の太陽暦に換算すると十一月二十一日に当たるからです。
 二十日の午後から、奉安堂において本門戒壇の大御本尊の御内拝(御開扉)があり、その後、夜に入って「お練り」の儀式が行われます。これは、末法の御本仏日蓮大聖人の御出現を示すもので、「お練り」とは、行列を作っておもむろに歩くことです。この行列が御影堂の正面参道に至るといったん停止し、七・五・三の喚鐘に合わせて六人の助番僧が、御影堂から一人ずつ、七人・五人・三人の順に御法主上人へ一礼に走ります。これは、御本仏大聖人が御説法のために御影堂に入られるよう、弟子が身をもってお願いする所作です。
 行列は、御影堂の西を回り、裏向拝から入堂します。裏向拝から入るのは、御影堂に御本仏大聖人が常住し給う故であり、信徒の方々は客として表向拝から上がります。
 入堂後、御法主上人は高座下手の正面に設けられた上行座に北面して着座されます。これは、法華経涌出品で忽然として地から涌出する上行菩薩の姿を表しています。
 次いで、会行事が立って寿量品の三誡三請、重請重誡の法式をかたどり、仏様の登高座を願い奉ります。
 そこで御法主上人が登高座され、読経・唱題ののち、寿量品の「御説法」を始められます。この御説法は、末法の御本仏日蓮大聖人が、寿量品の文底久遠本有無作の南無妙法蓮華経を説き出される儀式なのです。
 御説法が終わって小憩ののち、「三々九度儀式」が執行されます三々九度とは日本古来の祝儀を表す盃の方式で、大聖人とお弟子の本六僧が共に酒を酌み交わし、御本仏師弟の常住をお祝いするもので、これで一日目の行事は終わりとなります。
 二日目は、午前二時半から客殿において勤行衆会(丑寅勤行)、次に午前九時から御影堂において「献膳・読経。申状」の儀が奉修され、御法主上人および本六僧によって『立正安国論』ならびに御歴代上人の国家諌暁の「申状」が捧読されます。
 これは、大聖人の下種仏法が折伏の教えであることを示す儀式であり、この精神を御宝前に顕すことによって忍難弘通を誓い、必ず広宣流布が成就されることを示すのです。三大秘法の仏法によってこそ、一切衆生の成仏も可能となるからです。
 最後に、御宝前を荘厳したお花をくずす意義が込められた読経・唱題と、布教講演会が行われて、御大会は終了となります。

末寺におけるお会式
 末寺におけるお会式も、献膳・読経に続いて布教区内僧侶によって「申状」の捧読が行われ、法要ののち、布教講演を行う例になっています。
 古来「お会式に参詣しない者は信徒ではない」とも言われるように、本宗信徒はお会式の意義を深く理解し、必ず参詣するよう心掛けるべきであります。