日蓮正宗の年中行事 
「大日蓮 平成24年 8月号」
御難会(竜の口法難会) 
 御難会は、文永八(一二七一)年九月十二日に起こった、宗祖日蓮大聖人の竜の口法難を記念し、御報恩申し上げるために行われる法要です。

 数々の難をお受けになった大聖人
 
大聖人の御一生は、
「種々の大難雨のごとくふり、雲のごとくにわき候」(御書四七〇n)
と仰せられるように、「大難四カ度、小難数知れず」と言われ、竜樹・天親・天台・伝教等の仏教の大弘通者も肩を並べることができない大法難の連続でした。
 では、何故に大聖人はこのような数々の難をお受けになったのでしょうか。それは法華経の色読にあったのです。
 釈尊は、法華経の法師品から宝塔品にかけて、この経を弘める功徳の大きいことを説き、特に宝塔品においては三箇の鳳詔をもって、未来に法華経を弘めることを勧められました。
 そして、その釈尊の策励に応え奉らんとして、多くの弟子達が弘経を願い出ましたが、釈尊はこの経法を弘めることの困難を説かれたのです。
 その時に、他土から来た八十万億那由他の菩薩は、なおも釈尊滅後の弘通を懇請し、弘経に臨む一大決心を述べたのが「勧持品二十行の偈」です。
 この菩薩方は仏様の加護を受けて、滅後末法の悪世の姿を見通し、悪口罵詈、刀杖瓦石、擯出等の迫害を加えてくる俗衆増上慢・道門増上慢・僣聖増上慢の三類の強敵を予想し、どのような大難に対しても、
「我等皆当忍(我等皆当に忍ぶべし)」(法華経三七五n)
と誓いました。
 ところが、インド・中国・日本の三国のなかで、大聖人の御出現以前にこの経文を現実に身に当てて行じた方は一人もいません。もし、大聖人がこのような大難の数々をお受けにならなかったら、仏の未来記とも言うべき経文の予言は虚妄になり、釈尊は大妄語の人となってしまいます。
『開目抄』には、
「末法の始めのしるし『恐怖悪世中』の金言のあふゆへに、但日蓮一人これをよめり(中略)日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん」(御書五四一n)
と仰せです。
 それ故、大聖人は我が身に大難が押し寄せることをもって喜びとされ、『種々御振舞御書』に、
「釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ(中略)日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信、法師には良観・道隆・道阿弥陀仏、平左衛門尉・守殿ましまさずんば、争でか法華経の行者とはなるべきと悦ぶ」(同一〇六三n)
と仰せのとおり、法華経の行者に迫害を加える者を「善知識」とまで言われています。
 このように、大聖人が三類の強敵による数々の大難をつぶさにお受けになったのは、「勧持品二十行の偈」等に説かれる経文を身読し、末法の法華経の行者であることを顕されるためであり、また、そのお振る舞いをもって、末法の一切衆生の御本仏であることをお示しくださったことが拝せます。
 現在、私達はその御魂としての御本尊を受持信行することによって、幸せになることができるのです。

竜の口法難の意義

 では、なぜ九月十二日の竜の口の法難の日に御難会を行うのかといえば、四力度の大難中、特にこの法難は重大な意義を持つからです。
 そもそも、この竜の口法難は、第一に大聖人の邪宗折伏、第二に北条氏の大聖人に対する忌諱、第三に幕府への直諌が原因ですが、ことに幕府への直諌が直接の原因となって起きました。
 この極刑に処せられようとした頚の座を契機として、大聖人の御身の上に一大変化が起きたのです。
 『開目抄』に、
「日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ。此は魂魄佐土の国にいたりて、返る年の二月雪中にしるして、有縁の弟子へをくれば、をそろしくてをそろしからず。みん人、いかにをぢぬらむ」(同五六三n)
と仰せられたように、大聖人は文永八年九月十二日夜半、預かりの身として留め置かれていた、鎌倉の町中にある引付衆武蔵守宣時の邸をお出になり、丑の刻に竜の口において頚をはねられようとしました。しかし、不思議な光物が江の島の方から北西の方角に飛んできたため、太刀取りの眼がくらみ、ついに大聖人のお頚を切ることができませんでした。
 この丑寅の時というのは仏法上、深い意義を持っています。すなわち、子丑は陰の終わり・死の終わり、寅は陽の始め・生の始めです。また子丑は転迷、寅は開悟であり、その中間、すなわち丑寅の時刻は大切な時刻なのです。
『上野殿御返事』に、
「三世の諸仏の成道は、ねうしのをはりとらのきざみの成這なり。仏法の住処は鬼門の方に三国ともにたつなり」(同一三六一n)
と仰せです。
 故に、文永八年九月十二日の子丑の刻は、大聖人の名字凡身の死、終わりであり、寅の刻は、大聖人の御身そのままが久遠元初自受用身、すなわち御本仏の生、始まりです。この時、大聖人は、凡夫のお立場としての迹身を発(はら)って末法の御本仏という本身を顕されました。これを「発迹顕本」と言います。
 そこで毎年、九月十二日に御難会を奉修し、大聖人に対し仏恩報謝申し上げるとともに、未曽有の迫害とその御苦難を偲び奉り、我々もまた、どのような難が襲いこようとも、不惜身命・身軽法重の精神で正法広布を誓うところに、御難会の意義があります。
 大聖人は、その法難・迫害をもって懺悔滅罪の行法とされています。我々も正法広布のために起こる難を甘んじて受け、これを経なければまことの滅罪はないものと覚悟し、いかなる困難にも打ち克っていくべきです。『如説修行抄』に、
「其の上真実の法華経の如説修行の行者の師弟檀那とならんには三類の敵人決定せり。されば此の経を聴聞し始めん日より思ひ定むべし、況滅度後の大難の三類甚だしかるべしと」(同六七〇n)
とあり、『土木殿御返事』には、
「度々失にあたりて重罪をけしてこそ仏にもなり候はんずれば、我と苦行をいたす事は心ゆへなり」(同四七七n)
とあります。
 この御金言を胸に、破邪顕正の折伏に励み、大聖人に御報恩の誠を尽くしてこそ、御難会の意義が存するのです。