教学ノート
   大白法 平成26年8月16日付
6ページ 修行
信行学とは、仏道修行の根本となる信心・修行・教学の三つを言います。
 信心とは、無疑曰信の清浄な心で、日蓮大聖人様の仏法の根本である本門戒壇の大御本尊様を信じることを言います。
 修行とは、大聖人様の教えに基づいて、自らが御本尊様から利益を受けるために行を修めることと、他の人にも利益を受けることができるように折伏することを言います。
 教学とは、大聖人様の教えを学び、正しく理解することを言います。
 この信行学の中で、最も大切なことが信心です。大聖人様は、
『念仏無間地獄抄』に、
「信は道の源功徳の母と云ヘり」(御書 38㌻)
と仰せられ、信心は仏法の根源であると説かれています。
 また、「一信二行三学」という言葉があります。
 これは、まず信心を第一として、信心から修行、修行から教学が起こるという順序次第を表わしたもので、この修行と教学を進めていく上で、さらに信心が深まっていくのです。
 ただし、総本山第26世日寛上人は『文底秘沈抄』に、
「仮使信心有りと雖も若し修行無くんば未だ可ならざるなり」(六巻抄 71㌻)
と仰せのように、信心があっても修行に励まなければ、それは正しい信心とは言えないと説かれています。
 つまり、大聖人様が『諸法実相抄』に、
「行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候」(御書 668㌻)
と仰せのように、信心を基として修行と教学の二道に励むことが大切なのです。
 御法主日如上人猊下は、
「御本尊様は尊ぶのだけれども勤行は行わない、というのではおかしくなってしまうのです(中略)もし仮にそのようなことがあれば、生活が乱れてくるのです。つまり信心が乱れてくれば、生活全体が乱れてくるのです。ですから、信行学の一つひとつが大切なのであります。」(大白法 755号)
と仰せられています。
 私たちは、常日頃から自らの信行学を磨いて成仏を願うと共に、すべての人を幸せに導くために多くの人を折伏して、平和な世の中を築いてまいりましょう。
★ポイントと復習
 大聖人様は、行学の二道について仰せられた『諸法実相抄』に、
「力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし」(御書668)
と説かれています。
 では、力がなければ折伏はしなくてもよいのでしょうか、そうではありません。この御文は、自分自身の力に応じて一文や一句でも他の人に語って、折伏に励みなさいと仰せられているのです。