教学ノート
   大白法 令和2年1月16日付
57ページ 髻中明珠の譬
 髻中明珠の譬えとは、法華経『安楽行品第十四』に説かれる譬え話で、法華七喩(法華七喩)の第6番目に当たります。
 「髻」は、髪の毛を頭の上で1つにまとめ、結んだところを言い、「もとどリ」とも読みます。
 昔、転輪聖王という王様がいました。非常に強い勢力を持っていて、自分の命令に従わない諸国の王を、武力で討伐しました。
 そして、討伐で功績のあった家臣たちを褒め、褒美を取らせました。ある者には土地や田畑を、ある者には城や村、ある者には衣類やアクセサリーを、ある者には珍しい宝物を、ある者には馬や召使いを与えて、功績に報いました。しかし、自分の髻の中に納めてある、透明で光輝く珠(明珠)だけは、誰にも与えません。なぜなら、この明珠は最も優れた唯一の宝物で、これを家臣こ与えてしまったら、王の一族をはじめ周りの人々が大いに驚いて怪しんでしまうからです。
 それでも、真に多大な功績のあった者には、転輪聖王も心から大いに喜び、髻をほどいて明珠を取り出し、与えられたのです。
 仏様は仏法の中の王様で、この世はすべて仏様の所有です。しかしながら、第六天の魔王をはじめとした三障四魔などの軍勢は、なかなか仏様には随わず、人々を迷わせて苦しみの世界へ堕としています。そこで仏様は法を説いて弟子たちと共に魔王の軍勢と闘われ、弟子たちが魔を打ち破るところを見ると喜ばれ、さらに様々な教え(法華経以外の教え)を説かれます。
 しかし、法華経はなかなか説かれません。法華経がすべての人を成仏の悟りに至らせることができる最高、最勝の経典ですが、この世の中では怨多く信じ難い教えであるため、四十余年間も説かれなかったのです。
 そして仏様は、弟子たちが魔の軍勢と大いに闘って貪瞋癡の三毒を消滅し、迷いの世界を離れて魔を打ち破ったことをご覧になりました。そこで、ようやく弟子たちが法華経を信じることのできる境界に至ったと大歓喜され、法華経を説かれたのです。
 日蓮大聖人様は『持妙法華問答抄』に、
「嬉しいかな、釈尊出世の髻の中の明珠、今度我が身に得たる事よ」(御書300㌻)
と仰せられています。私たちにとって「髻の中の明珠」は、南無妙法蓮華経の御本尊様のことです。
 髻中に明珠があることを知っているだけでは意味がないように、私たちも真剣に仏法を求め、信じ、修行をしなければ、魔に誑かされて苦しみの境界に落ちてしまいます。
 私たちがなすべきことは、明珠である御本尊様に巡り合えた福運に感謝し、日々の信行の実践によって磨き、まだ明珠を知らない人に教えて、共に幸せの境界を築くことです。