教学ノート
   大白法 令和元年12月16日付
56ページ 貧人繋珠の譬
 貧人繋珠の譬えとは、法華経『五百弟子受記品第八』に説かれる譬え話です。法華七喩の一つで、衣裏珠の譬え、衣裏繋珠の譬えとも呼ばれます。
 ある貧しい男が裕福な親友の家に招待され、酒や食事のもてなしを受けました。楽しい時間を過ごし、男はそのまま酒に酔って寝てしまいました。仕事で外出しなければならない親友は、彼が生活に困っていることを知っていたため、値段がつけられないほどの貴重な宝珠を友人の衣服の裏に縫いつけ、出かけていきました。
 しばらくして目を覚ました貧しい男は、衣服の裏の宝珠に全く気づきません。そのまま親友の家を出て、また他国を放浪する生活に戻りました。相変わらず、着るものにも、食べるものにも苦労する毎日でした。その上、男は少しでも得るものがあればそれで満足して、それ以上は求めようとしないので、ずっと貧しいままだったのです。
 しばらく経ったある日、二人は再会することができました。その時、以前と変わらない、みすぼらしいままの男の姿を見て、親友はとても驚き、言いました。
「私は君が穏やかで安定した生活ができるようにと、貴重な宝珠を君の衣服の裏に縫い込んだんだ。その宝珠は今もあるではないか。それなのに、貧しいままで苦悩しているとは、なんて君は愚かなんだ。今すぐに、この宝珠を使って、何でも欲しいものを手に入れなさい」
 この言葉を聞いてようやく宝珠の存在に気づいた男は、大いに喜び、その宝珠によって安楽な生活を得ることができました、というお話です。
 この話の、親友とは仏様、男とは声聞、宝珠とは真実の教えである法華経を譬えています。つまり、三千塵点劫という長い間にわたって小乗の教えに執着し、苦悩から抜け出せずにいた衆生が、このたびの釈尊の法華経によって過去の仏種を知り、目覚めて成仏することの譬えです。
 日蓮大聖人様は『御講聞書』に、
「末法に入りて此珠とは南無妙法蓮華経なり。貧人とは日本国の一切衆生なり。此の題目を唱へ奉る者は心大歓喜せり」(御書1844㌢)
と仰せです。末法の現在で、貧しい人とは今の生活に満足して仏様の真の教えを知らずにいる私たちのこと、そして無上の宝珠とは、南無妙法蓮華経のことです。御題目を信受し、唱えることで真の幸福を得ることができると仰せになっています。
 私たちがふだん、お寺や家の御本尊様に向かって御題目を唱えられることを、当たり前と感じるかも知れませんが、実はとても有り難いことなのです。宝珠である南無妙法蓮華経の御題目を一遍でも多く唱え、功徳を積ませていただき、喜びに満ちあふれた毎日にしていきましょう。