教学ノート
   大白法 平成28年12月16日付
27ページ 末  法
 末法とは、正・像・末の三時のうち、第三番目の時代のことを言います。末法について『大集経』には、
「次の五百年は、我が法中において、闘諍言訟し、白法隠没し損滅して堅固なり」
と、釈尊の仏法のカがなくなり、人心が荒れて、世相の混乱により争いの絶えない時代であると説かれています。
 また、末法の衆生について、日蓮大聖人様は『妙法曼荼羅供養事』に、
「三千大千世界の一切衆生の眼をぬける罪よりも深く、十方世界の堂塔を焼きはらへるよりも超えたる大罪を、一人して作れる程の衆生、日本国に充満せり」(御書 690)
と、貪欲・瞋恚・愚癡などの煩悩が盛んで、まるで大重罪を犯したほどの罪深い人々であると仰せられています。
 釈尊は、この末法の衆生を救う教えについて、『法華経薬王菩薩本事品第二十三』に、
「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん」(法華経 539)
と説かれ、それは法華経であり、広く世界に弘められるとされています。
 しかし、大聖人様は『上野殿御返事』に、
「今、末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし。但南無妙法蓮華経なるべし」(御書1219)
と、釈尊が説かれた法華経では救われないと説かれました。それは、末法の衆生には、釈尊の説かれた法華経では功徳がないからです。
 よって、先の『薬王菩薩本事品』の経文は、法華経でなく、南無妙法蓮華経の大白法が末法に広宣流布することを予証されたものなのです。
 そして、大聖人様が『蓮盛抄』に、
「夫仏は一切衆生に於て主師親の徳有り」(同 28)
と説かれ、『開目抄』に、
「日蓮は日本国の諸人に主師父母なり」(同 577)
と説かれるように、大聖人様こそが末法の御本仏であることを御示しです。その大聖人様が説き顕わされた法華経の肝要である「南無妙法蓮華経」によらなければ、幸せになることができないのです。
 私たちが生まれた末法の世相は混乱を極めています。しかし、私たちは、大聖人様の教えを弘めることによって、末法濁悪の世世界へと変えていくことができるのです。


★ポイント
大聖人様は、像法時代に生まれた天台大師や伝教大師について、
「此等の論師人師、末法闘諍堅固の時、地涌出現し給ひて本門の肝心たる南無妙法蓮華経の弘まらせ給ふべき時を知りて、恋させ給ひて是くの如き釈を設けさせ給ひぬ」(御書1500)
と、根本の南無妙法蓮華経が弘められる末法に生まれることができなかったため、末法に対して憧れの念を懐いていたと仰せられています。