教学ノート
   大白法 平成28年10月16日付
25ページ 身口意の三業
 身口意の三業とは、人間の行為(業)を身業・口業・意業の三種に分類したものです。
 身業は身体でなす行為、口業は口で言うこと、意業は心で思うことです。私たちのすべての行為は、三業のいずれかに属しています。
 この身口意の三業の中で中心となるのは、意業です。例えば、あることをしようと心に思うと、それが行動として現われたり、言葉として表現されます。つまり、私たちの一切の言動(身業・口業)は、心(意業)にしたがって生ずるのです。
 また身口意の三業は、善・悪・無記に立て分けられます。
 まず悪の三業とは、身業に殺生・偸盗(盗むこと)・邪淫(みだらなこと)、口業に妄語(嘘をつくこと)・綺語(真実ではない言葉)・悪口・両舌(先と後で言うことが違うこと)、意業に貪欲(貪りの心)・瞋恚(瞋りの心)・愚癡(愚かな心)があり、これを十悪とも言います。
 善の三業は、十悪を行わない、身に不殺生等、口に不妄語等、意に不貪欲等で、これを十善とも言います。
 また善悪の結果を招かないものを、無記の三業と言います。
 これらの行為は、未来にもたらされる原因となり、行為の善悪にしたがって、未来に善悪様々な結果として現われてきます。
 御法主日如上人猊下は、
「私達には心があります。この心が悪い方向へ行くと悪い行いをします。また悪いことを言います。正しい心を持っていれば、正しいことを行います。そしてまた正しいことを言います。よって、この身口意の三業ということが非常に大事でありまして、この身口意の三業が悪いほうへ傾いていきますと、その人の人生は苦しみの世界に入っていきます。正しいほうに向いていますと、私達の生活は本当に正しい、成仏の境界に至ることができるのであります」(大白法 701号)
と仰せです。
 私たちは、身口意の三業にわたり正しい信心修行に励むことが大切であり、その善行によって必ず御本尊様の大功徳を得られます。そして、この信心姿勢こそ、大聖人様の弟子檀那として恥じない、正直な信心なのです。

★ポイント
総本山二十六世日寛上人は、
「常に心に折伏を忘れて四箇の名言を思わずんば、心が謗法になるなり。口に折伏を言わずんば、口が謗法に同ずるなり。手に珠数を持ちて本尊に向かわずんば、身が謗法に同ずるなり」(御書文段608)
と御教示です。
 私たちは常に、心に折伏を忘れず、折伏を行い、御本尊様に向かい勤行・唱題に励むことが最も重要です。