教学ノート
   大白法 平成28年1月16日付
18ページ 十 四 誹 謗
  十四誹諺とは、正法に対する謗りのことで、前のページで学んだ「謗法」の姿を十四種に分類して、より具体的こ説明したものです。
 日蓮大聖人様は『松野殿御返事』に、
「『悪の因に十四あり。一に驕慢・二に懈怠・三に計我・四に浅識・五に著欲・六に不解・七に不信・八に顰蹙・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善・十二に憎善・十三に嫉善・十四に恨善なり』と。此の十四誹謗は在家出家に亘るべし、恐るべし恐るべし」(御書1046)
と十四誹謗の名目を挙げられて、在家・僧侶共に誡めなければならないと示されています。
 大まかに十四誹謗の意味を述べると、驕慢とは正法に対して驕り、侮ること。二に懈怠とは仏道修行を怠ること。三に計我とは正法を自己の考えで推し量り我見に執着すること。四に浅識とは正法を自己の浅い知識で判断し、より深くを求めないこと。五に著欲とは欲望に執着して正法を求めないこと。六に不解とは正法を理解しようとしないこと。七に不信とは正法を信じないこと。八に顰蹙とは正法に対して顔をしかめ非難すること。九に疑惑とは正法を疑うこと。十に誹謗とは正法を謗ること。十一に軽善とは正法を信受する者を軽蔑すること。十二に憎善とは正法を信受する者を憎むこと。十三に嫉善とは正法を信受する者を嫉むこと。十四に恨善とは正法を信受する者を恨むことを言います。
 これらを犯した者が受ける罪の報いについて法華経『譬喩品第三』には、
「常に地獄に処すること 園観に遊ぶが如く余の悪道に在ること 己が舎宅の如く」(法華経180)
と、常に地獄や畜生などの悪道の苦しみを受け、その悪道の中でしか生きられない境界になると明かされています。
 大聖人様は、この十四誹謗の中でも特に、
 「十四誹謗も不信を以て体と為せり」(御書39)
と説かれ、また御法主日如上人猊下は、
「信ということがいかに大事であるか。つまり信ずるということが成仏の鍵であり、不信は謗法の根源なのであります。ですから、まず信心がなければ絶対にだめだということになるのです」(大白法748号)
と仰せです。
 私たちは御本尊様に絶対の確信を持ち、常に十四誹謗を誡めて正直に信心修行に励むことが成仏の鍵となるのです。
★ポイント
 大聖人様は、
「いかに日蓮いのり申すとも、不信ならば、ぬれたるほくちに火をうちかくるがごとくなるべし。はげみをなして強盛に信力をいだし給ふべし」(御書1407)
と、大聖人様がいかに祈ったとしても、私たちが御本尊様を信じなければ、濡れた火口に火を打ち掛けるようなもので無駄になってしまう、されば、なお一層、強盛な信力を出だして日々励みなさいと仰せられています。