教学ノート
   大白法 平成27年6月16日付
11ページ 三  宝
  仏法では、衆生が尊敬し、供養し帰依すべき信仰上の対象として、仏宝・法宝・僧宝の三宝を立てます。
 「仏」とは真実の法を悟り衆生を救済する教主、「法」とは仏の悟りと慈悲に基づいて説かれた教え(教法)、「僧」とはその仏法を譲り受け後世に正しく護り伝えていく僧侶を言います。
 この三つは、いずれも衆生を救い世を清浄に導く最高の宝であることから“三宝”と言うのです。
 また、三宝の立て方は教法によってそれぞれ異なるため、三宝は自身の機根(能力・性質)や時代に適った教えに基づいて立て、帰依し共養することが大切です。
 末法の今は、日蓮大聖人様の教えを信じて救われる時代です。よって、大聖人様の教えにより三宝を立てます。
 そして末法における真実の三宝とは、仏宝は末法の御本仏・日蓮大聖人様、法宝は本門戒壇の大御本尊様、僧宝は大聖人様の血脈を承継あそばされる日興上人様をはじめ御歴代の御法主上人猊下です。
 私たちは、この三宝を信じ供養することによって、真実の幸福を手にすることができるのです。
 大聖人様は、
 「末代の凡夫、三宝の恩を蒙りて三宝の恩を報ぜず、いかにしてか仏道を成ぜん」(御書 268㌻)
と説かれていますが、三宝の御恩徳に対して日々、感謝して報いることが大切です。
 また日寛上人様は、
「問う、報恩の要術、其の意は如何。答う、不惜身命を名づけて要術と為す」(御言文段 384㌻)
と、自身の身命を惜しまずに大聖人様の教えを弘めることが、三宝の恩に報いるための方法であると仰せになられています。
 なお、誤った三宝を信じるならば、利益を得られないことはもちろんのこと、たとえ大聖人様を仏宝と崇めていても、法宝や僧宝が間違っているならば不幸の道を歩むことになります。
 大聖人様は、
 「凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」(御書 608㌻)
と、仏法僧の三宝は一体であると仰せです。この三宝一体の上から、法宝(大御本尊様)を謗ることは同時に仏宝(大聖人様)と僧宝(日興上人様)を謗ることであり、また僧宝を謗ることは同時に仏宝と法宝を謗ることになると、厳しく誡められています。
 故に、大聖人様を御本仏と仰ぎ、大御本尊様を信じ、さらに日興上人様をはじめ、御歴代の御法主上人猊下に信伏随従することが大切であり、これこそが真の三宝尊信の姿です。
 私たちは、この三宝尊信の上から、自行化他にわたる信行に徹するとき、即身成仏の大利益を得ることができるのです。