いし の ぼう
蓮 東 坊
別称(常唱堂)
平成21年4月8日撮影
 享保九年(一七二四年)総本山第二十六世日寛上人が大石寺塔中石之坊を創し常唱堂建立を発願された。
 当時、日寛上人は二十七世日養上人に法を付嘱されて、ご隠居の立場で御書の文段等をご執筆なされていたが、享保八年六月に日養上人が御遷化され、再び猊座につかれてから御遷化されるまでの四か年、石之坊に住し、六巻抄を再治され、江戸常在寺・常泉寺・妙縁寺に於いて観心本尊抄の講義をなされた。
 享保十二年六月に常唱堂の完成を見ることになる。
 当初は常題目堂と称されて、日寛上人が御詠みの、「富士の根に常に唱うる堂建てて雲井に絶えぬ法の声かな」のごとく、六人の所化が常に勤仕した、昼夜に題目の声を絶やさなかったと伝えられている。
 また、石之坊の境内に日興上人ゆかりの説法石がある。
 『富士大石寺明細誌』にも「当山濫觴の地なり、庭に霊石有り説法石と号す、開山興師当山草創の始め此の石を高座と為て説法し真俗男女を教化す故に爾か名るなり。(略)古来伝に云く阿育大王所立の石宝塔の基ひなり、此の石有る故に此の所の地名を往昔より大石が原と云ふなり」と大石寺の名の由来が説法石であると記されている。
常唱堂は、はじめ現在の遠信坊の北、裏塔中北端に在ったが、大正十四年十月第五十八世日柱上人の時、日寛上人の二百遠忌を記念して石之坊の境内に移転再興された。
 その後、昭和四十一年九月日達上人の発願、全国僧侶の寄進によって再建された。
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