ほう おん ぼう
蓮 東 坊
平成21年4月27日撮影
 亨保十六年(一七三一年)大聖人の第四百五十遠忌が営まれ、その九年後の元文五年(一七四0年)五月十五日、報恩坊が第三十世日忠上人によって建立されたことが、理境坊の棟札に記されている。
 日忠上人は元文元年(一七三六年)第二十九世日東上人より御相承を授けられ、大坊に入り、その後元文五年十一月十三日に、法を第三十一世日因上人に御付嘱なされている。 御隠尊になられる年の造営であるから御隠居所として建てられた事が伺われる。
 文化四年(一八0七年)五月十二日の寅の刻に理境坊が出火焼失し、修理が困難なため、同年十一月十一日に報恩坊の客殿を移して再建したことが、棟札の裏書きに記されている。
第三十六世日堅上人筆の『興門得意抄』(天明四年)の図に裏塔中の遠信坊、円目坊の上、北側に報恩坊が掲載されているが、過去の残された資料が乏しい為、推測ではあるが、理境坊再建のため報恩坊が消滅したのではないかと拝察される。
 しかし、平成元年四月、総本山大石寺開創七百年記念事業の一環として再建新築された。
 また、報恩坊建立の年(元文五年)に、後の仙台法難の因となる覚林房日如師が福島の黒須野に生まれている。
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