みょう せん ぼう
蓮 東 坊
平成21年3月27日撮影
  昭和44年11月21日、御大会の時に六十六世日達上人の代に西裏塔中に妙泉坊と妙住坊が、宿坊のモデルケースとして二ヶ坊が同時に創建された。
 当時の出来事として、同年五月に大石寺の三門広場が完成し、新御塔川(潤井川)の通水式があった。
 六月に正本堂の建設にともない新墓苑完成法要が行われた。八月に大石寺御塔橋架替え、九月に大石寺御宝蔵の堀石垣修理、そして十月に正本堂の定礎式があった。また、全国に多くの寺院が建立され、登山会も活発に行われていた。
 しかし、学会の登山会は御戒壇様のお膝元で大聖人の信心を学ぶ、というよりは、坊で学会歌を歌い、学会活動の延長だった。
 法華講も連合会結成以前は、学会から旧信徒という呼び方で散々に批判されていた。
一、法華講は先祖代々からの檀家で、謗法払いをしていない為。
二、法華講は寺参りはするけれども、折伏をしない。
しかしながら、当時の人達は、そのように指摘されても、自分達は七百年前から大聖人の正法正義を信奉しているから、創価学会の大先輩なんだと自負して、謙虚に改める事なく、謗法を戒め、折伏に励む人は少なかった。
 その時に、法華講も広布の陣列に立ち、本山及び末寺を外護する力を持つように願って日達上人が、昭和38年5月22日、法華講全国連合会組織許可、平沢益吉が会長となったのです。又、39年の新年の御説法で
 「法華講においては我が宗 門の初めから、宗門維持と発展の為に勤めてきたのでありましたが、各講中が独立しておって、個々別々な行動をしておりましたが、昨年春より 大合同の気運が働いて、法華講全国連合会が結成され折伏弘法の一代勢力となったのであります。このことは昨年度においての宗門史上に重大なる事柄であります」
と、又当時、青年部総登山会の折に詠まれた詩に「山桃の実は小さくも身を守り広布の願い萌えいづらむ」中国では、山桃は不老長生の木といわれ、実は妙薬とされ、実の固さは決定心に例えられ、法華講の育成を殊の外期待されたのです。

『立正安国論』正義顕揚七百五十年記念局「総本山総合整備事業」の一環として、新築落慶法要が平成20年12月8日、御法主日如上人猊下大導師のもと奉修された。
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