みなみ の ぼう
蓮 東 坊
平成21年3月27日撮影
 大聖人様は弘安五年(一二八二年)十月八日に日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持の本弟子六人を定められたが、日興上人も、此の大聖人様の例に順じて、大石寺における六人の上老を定められた。
 永仁六年(一二九八年)の『弟子分本尊目録』に
「一、甲斐の国蓮花寺の住僧寂日坊(日華)は日興第一の弟子たるに依て与へ申す所件の如し。
 一、新田の卿公日目は日興第一の弟子なり依て与へ申す所件の如し。
 一、富士の下方市庭寺の下野公日秀は日興が弟子なり依て与へ申す所件の如し。
 一、駿河の国富士上方の河合少輔公日禅は日興第一の弟子なり仍て与へ申す所件の如し。
 一、甲斐の国西郡小室の摂津公日仙は日興第一の弟子なり仍て与へ申す所件の如し。
 一、鎌倉の住人了性房日乗は日興第一の弟子なり聖人御遷化の後なる間日興書写し与ふる所件の如し。此六人は日興第一の弟子なり」(富要八−五頁)
と、記されている。
 大石寺開創の年、正応三年(一二九0年)に、先の本六の一人、少輔公日禅が南之坊を創した。
 日禅は、日秀・日弁と共に、熱原滝泉寺の寺家僧であったが、日興上人の教化により、建治元年(一二七五年)六月頃弟子となった。熱原法難の時、住坊を追われ、一時、河合の実家にもどった。
 弘安三年(一二八0年)五月八日、大聖人様より御本尊を賜っている。
 その後も、妙興寺、東光寺を開き大坊を守護した。

『立正安国論』正義顕揚七百五十年記念局「総本山総合整備事業」の一環として、新築落慶法要が平成20年8月25日、御法主日如上人猊下大導師のもと奉修された。
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