ほん じゅう ぼう
蓮 東 坊
平成21年3月27日撮影
 延元二年(一三三七年)加賀野宮内卿日行上人によって本住坊が開創された。
聖滅五十六年、興目両尊が入滅されて四年目、大石寺開創より実に四十七年にして表塔中十二ヶ坊の完成を観る事となった。
 行師の父は奥州三迫の森の地頭の加賀野氏、母は南条時光の息女であり、日目上人の従妹の子にあたる。幼少より出家しようと欲し大石寺に居住し、第四世日道上人の弟子となられた。のちに日興上人に給仕されながら宗義を習学された。故に興尊より授与された御本尊に「興師本尊に云く卿公日行は日道第一の弟子なり、之を授与す、正中二年九月十三日此の本尊平井に在り」(聖典七三九頁)正慶二年(一三三三年)日興上人の入滅後は、日目上人に随順し下之坊に常住し、本山守護の任にあたられた。
延元元年、日道上人が申状を献じられた翌年、本住坊を創し、その二年後、日道上人より血脈相承を伝授され大石寺に第五世として住持された。
 その時の本尊の端書には「暦応二年太才己卯六月十五日日道在判、日行に之れを授与す、一が中の一弟子なり已上此の本尊当山に在るなり」(聖典同頁)さらに先師にならって天奏のために上洛し、暦応五年三月奏上、武家にも申状を以て訴えた。
 延文五年(一三六0年)には下野国金井に法華堂を建立、現在の蓮行寺である。
貞治四年(一三六五年)二月十五日、血脈を第六世日時上人に御付嘱された。
 正平二十四年(一三六九年)八月十三日に入寂された。

『立正安国論』正義顕揚七百五十年記念局「総本山総合整備事業」の一環として、新築落慶法要が平成20年8月25日、御法主日如上人猊下大導師のもと奉修された。
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