じょう れん ぼう
浄 蓮 坊
平成21年3月27日撮影
元弘元年(一三三一年)日目上人の弟子伯耆阿闍梨日道上人によって浄蓮坊が開創された。実に大聖人第五十回忌の年であった。
 日道上人は弘安六年(一二八三年)伊豆国畠郷に新田五郎次郎頼綱の次男として出生された。父の頼綱 (後に入道して日善) は日目上人の実兄であり、日道上人は日目上人の甥に当たり、祖母は南条時光の姉になる。日道上人は幼少にして日目上人を師範と仰いで出家し、大坊において修行研学に励み、その間、重須の日興上人にも仕えた。
 道号は「白蓮房」とも 「伯耆房」ともいわれ、信行学を兼備し、後に「弁阿闍梨」とも称した。
 もともと伊豆新田家の本領地は奥州の登米郡であったため、父の頼綱は日道上人が出家得道して間もなく本領地の奥州に帰っており、その関係もあって奥州に住む親族や知人に妙法の信仰は次第に弘っていった。その為日道上人は叔父でもあり師でもある日目上人の命を受け、師と交替に大石寺と奥州を往復して、親族・縁者の教化育成に尽力された。また往復の途中に当たる武蔵にも妙法弘通の足跡を残している。
 日道上人はこの強い妙法弘通の信念と篤行によって、正安三年(一三○一年)には重須の塔中行泉坊を、その後嘉暦二年(一三二七年)に加賀野の本道寺を、続いて浄蓮坊、更に正慶元年 (一三三二年)に奥州妙円寺を開創されている。
また日道上人の残された筆記、消息の中で特筆すべきは『御伝土代』であり、大聖人、日興上人、日目上人の三師の伝記は最古のものであり、正確さにおいて他の類をみない。


『立正安国論』正義顕揚七百五十年記念局「総本山総合整備事業」の一環として、新築落慶法要が平成19年11月15日、御法主日如上人猊下大導師のもと奉修された。
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