御法主日如上人御指南 
御法主上人猊下お言葉
広布唱題会
(平成31年3月3日 於総本山客殿)

 本日は、本年三月度の広布唱題会に当たり、皆様には御繁忙のところ、わざわざ出席され、まことに御苦労さまです。
 既に皆様方も御承知の通り、今、宗門は来たるべき平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築へ向けて、全力を傾注して前進をしております。
 法華講員八十万人体勢の構築は、私どもが御宝前に固く誓った目標であり、すべての支部が僧俗一致・異体同心し、全力を傾注して、なんとしてでも達成しなければならない、今、最も大事な目標であります。
 その目標達成のためには、私ども一人ひとりが身軽法重・死身弘法の御聖訓を奉戴し、御本仏宗祖日蓮大聖人の弟子檀那としての自覚と断固たる決意をもって、真剣に唱題に励み、その功徳と歓喜をもって、敢然として折伏を行じていくことが肝要であります。
 大聖人様は『南条兵衛七郎殿御書』に、
「信心ふかき者も法華経のかたきをばせめず。いかなる大善をつくり、法華経を千万部書写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経のかたきをだにもせめざれば得道ありがたし。たとへば朝につかふる人の十年二十年の奉公あれども、君の敵をしりながら奏しもせず、私にもあだまずば、奉公皆うせて還ってとがに行なはれんが如し。当世の人々は謗法の者としろしめすべし」(御書 三二二n)
と仰せであります。
 すなわち「たとえ信心が深いと言われる者でも、法華経の敵も責めず、すなわち謗法を破折もせず、どのような大きな善行を積んだ者であったとしても、あるいは法華経を千万部も書写し、一念三千の観心の法門を得たと言われる人でも、法華経の敵を折伏し、邪義邪宗の謗法から救っていかなければ、それは本当の大善ではなく、自分自身の得道はありえない」と厳しく仰せられているのであります。
 いかなる大善を積んでも、得道することができないというのは、これは本当の大善ではないからであります。すなわち、同じ善でも小善もあり、大善もあります。したがって自分では大善と思っても、妙法という真実の大善から見れば、それは小善でしかないのであります。
 されば、大聖人様は本抄に、
「善なれども大善をやぶる小善は悪道に堕つるなるべし」(同 三二三n)
と仰せられ、法華経の大善を破る小善、すなわち爾前迹門の善は小善であり、真実の善ではなく悪であり、地獄に堕ちると厳しく仰せられているのであります。
 つまり、法華経の敵も責めない善は本当の善ではなく、本当の大善とは、自らが本因下種の妙法を信受し、邪義邪宗の謗法の害毒によって苦しむ多くの人々を救う、すなわち折伏を行ずる自行化他の信心に励むこと、これが大善中の大善であると仰せられているのであります。
 さらに、大聖人様は「朝廷に仕える者が十年、二十年と奉公に励んだとしても、主君に敵する者を知りながら主君にも知らせず、自分もその敵を責めずに見過ごしていたとしたら、長年の奉公は全く無意味となるばかりではなく、かえって怠慢の者として罰せられるようなものである」と仰せられ、今、末法の衆生は謗法の者と知り、折伏を行ずることが大聖人様の弟子檀那として最も大事であることを仰せられているのであります。
 先程も申し上げましたが、今、宗門はいよいよあと二年後に迫った、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築の誓願達成へ向けて、全国の各講中ともに僧俗一致・異体同心の団結をもって、力強く前進をしております。この時に当たり、私どもは一人も遅れを取ることなく、御宝前に固くお誓いした誓願は、なんとしてでも達成しなければなりません。
 されば、皆様方には、
「今末法は南無妙法蓮華経の七字を弘めて利生得益有るべき時なり」(同一八一八n)
との御金言を心肝に染め、いよいよ信心強盛に折伏誓願達成へ向けて精進されますことを心から祈り、本日の挨拶といたします。