御法主日如上人御指南 
御法主上人猊下お言葉
唱題行
(平成31年1月31日 於総本山客殿)

 皆さん、おはようございます。
 元旦から始めました本年一月度の唱題行も、本日をもって終了いたしますが、皆様には一カ月間にわたり参加され、まことに御苦労さまでございました。参加された皆様方は、さぞかし大きな功徳を積んだことと思います。
 是非、この唱題の功徳と歓喜をもって、全支部が来たるべき平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築の達成を目指して折伏に励み、力強く前進していただきたいと思います。
 さて、大聖人様は『十法界明因果抄』に、
「慳貪・偸盗等の罪に依って餓鬼道に堕することは世人知り易し。慳貪等無き諸の善人も謗法に依り亦謗法の人に親近し自然に其の義を信ずるに依って餓鬼道に堕することは、智者に非ざれば之を知らず。能く能く恐るべきか」(御書 二〇八n)
と仰せられています。
 この御文は、謗法について、いかなる善人であっても謗法があれば、餓鬼道に堕ちると厳しく警鐘を鳴らされているのであります。
 そもそも、本宗におきましては、受持正行、折伏正規と並んで謗法厳誡を宗是としています。したがって『曾谷殿御返事』には、
「謗法を責めずして成仏を願はゞ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし。何に法華経を信じ給ふとも、謗法あらば必ず地獄にをつべし。うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し。『毒気深入 失本心故』とは是なり。」(同一〇四〇n)
と仰せられ、いかに信心をしていたとしても、謗法があれば「うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し」と仰せのように、必ず地獄に堕ちると厳しく謗法を誡めているのであります。
 されば、宗門では古来、邪宗の神社・仏閣の前でわらじの紐が解けても、そこでは鼻緒を結んではならないと言われています。それは心ならずも、他宗の神社・仏閣の前で頭を下げることになるからであります。
 たとえ信心をしていても、謗法があれば、せっかく積んだ功徳も、たちまちに消え失せるばかりか、大きな罪障を積むことになるのでありますから、私どもは謗法厳誡の宗是を固く守り、純信、潔白な信心に住するよう、よくよく気をつけていかなければなりません。
『顕謗法抄』には、
「問う云はく、五逆罪より外の罪によりて無間地獄に堕ちんことあるべしや。答へて云はく、誹謗正法の重罪なり。問うて云はく、証文如何。答へて云はく、法華経第二に云はく『若し人信ぜずして此の経を毀謗せば乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん』等云云。此の文に謗法は阿鼻地獄の業と見へたり」(同 二七九n)
と仰せられ、謗法は、父を殺し、母を殺し、阿羅漢を殺し、仏身より血を出だし、和合僧を破るの、五逆罪にも過ぎたる重罪であると仰せられています。まさに謗法、恐るべしであります。
 したがって、この謗法に対しては謗法厳誡宗是に従って、厳しく破折していくところに正しい信心の姿があり、一生成仏のためには、謗法に対しては敢然として破折し、折伏を行じていくことが、最も肝要なのであります。
 されば、大聖人様は『聖愚問答抄』に、
「今の世は濁世なり、人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり」(同 四〇三n)
と仰せられ、五濁乱漫とした末法においては、邪義邪宗に対しては決然として破折し、折伏を行じていくことが最善の方途であると御教示あそばされているのであります。
 皆様方には、一人ひとりが、この破邪顕正の御聖訓を守り、不幸の根源である邪義邪宗の謗法を破折し、折伏を行じていくことが今、最も肝要であることを心肝に染め、いよいよ信心強盛に支部一丸となって、折伏誓願達成へ向けて前進していただきたいと思います。
 『南条兵衛七郎殿御書』には、
「いかなる大善をつくり、法華経を千万部書写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経のかたきをだにもせめざれば得道ありがたし」(同 三二二n)
と仰せであります。
 皆様には、この御聖訓を守り、本年はすべての支部が折伏誓願を達成され、もっていよいよ明後年に迫った宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の慶事を見事迎えられますよう心から念じ、本日の挨拶といたします。