御法主日如上人御指南 
10月度広布唱題行の砌
平成30年10月7日 
於総本山客殿

 皆さん、おはようございます。
 本日は、十月度の広布唱題会に当たりまして、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 さて、既に御承知の通り、宗門は今、僧俗一致・異体同心の団結をもって、来たるべき平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築の実現へ向けて、止暇断眠、昼夜を厭わず、全力を傾注して力強く前進をしております。
 法華講員八十万人体勢の構築は、私どもが仏祖三宝尊の御宝前に固くお誓い申し上げた約束であり、邪義邪宗の謗法の害毒によって塗炭の苦しみに喘ぐ多くの人々を救い、五濁乱漫として混迷を極めている末法今時の世情を浄化し、真の平和を築き、仏国土を実現するため、宗門の総力を結集して、なんとしても達成しなければならない、今、最も大事な目標であります。
 その目標達成のためには、まず私ども一人ひとりが地涌の菩薩の眷属としての自覚と誇りと断固たる決意をもって真剣に唱題に励み、その功徳と歓喜をもって勇躍として折伏を行じていくことが肝要であります。
 特に、最近の天候異変や頻発する地震など、近年にない様々な異変が惹起し、まさに内憂外患こもごもとした現状を見る時、今こそ我々は、御本仏宗祖日蓮大聖人様が身をもってお示しあそばされた『立正安国論』の御聖意を体し、一切衆生救済・仏国土実現を目指し、全力を傾注して折伏を実践していかなければならないと思います。
 さて、『法華初心成仏抄』を拝しますと、
「地獄には堕つるとも、仏になる法華経を耳にふれぬれば、是を種とし
て必ず仏になるなり。されば天台・妙楽も此の心を以て、強ひて法華経を説くべしとは釈し給へり。譬へば人の地に依りて倒れたる者の、返って地をおさへて起つが如し。地獄には堕つれども、疾く浮かんで仏になるなり。当世の人何となくとも法華経に背く先に依りて、地獄に堕ちん事疑ひなき故に、とてもかくても法華経を強ひて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり。何にとしても仏の種は法華経より外になきなり」(御書 一三一六n)
と仰せられています。
 すなわち「たとえ地獄に堕ちても、法華経、すなわち本門寿量品文底下種の妙法蓮華経を耳に触れれば、これを種として必ず仏に成る。天台大師も妙楽大師も、この心をもって、強いて妙法を説くべきであると釈されている。特に、今時末法の本未有善の衆生は、法華経に背く失によって地獄に堕ちることは疑いないのであるから、とにもかくにも妙法蓮華経を強いて説き聞かせるべきである。信ずる者は仏に成り、たとえ諦ずる者でも毒鼓の縁となって仏に成る」と仰せられているのであります。
 「毒鼓の縁」とは、皆様も既に御承知の通り、涅槃経に説かれている話で、毒を塗った太鼓をたたくと、その音は聞こうとしない者の耳にも届き、聞いた者は皆、死ぬと言われております。これは、法を聞いて反対し、信じようとしない者でも、やがて煩悩を断じて得道できることを、毒を塗った太鼓を打つことに譬えているのであります。
 すなわち、折伏を受けて、直ちに信受できない逆縁の人でも、やがて妙法に縁したことが契機となって、必ず救われることができると仰せられているのであります。
 されば、私どもの折伏もまた、真心を込めて根気よく、広大無辺なる大御本尊の功徳を説き、邪義邪宗の謗法の恐ろしさを教え、確信をもって事に当たることが最も大事であります。
 大聖人様は『聖愚問答抄』に、
「此の妙法蓮華経を信仰し奉る一行に、功徳として来たらざる事なく、善根として動かざる事なし。撃へば網の目無量なれども、一つの大綱を引くに動かざる目もなく、衣の糸筋巨多なれども、一角を取るに糸筋として来たらざることなきが如し」(同 四〇八n)
と仰せであります。
 皆様には、この御金言を心肝に染め、大御本尊様への絶対的確信をもって、一切衆生救済の大願のもと、講中一結・異体同心して折伏を行じ、もって来たるべき平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築の実現へ向けて、いよいよ御精進くだされますことを心から念じ、本日の挨拶といたします。