御法主日如上人御指南 
4月度広布唱題行の砌
平成30年4月1日 
於総本山客殿

 皆さん、おはようございます。
 本日は、四月度の広布唱題会に当たり、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 既に御承知の通り、今、宗門は総力を結集して、来たるべき平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築の実現へ向けて、折伏弘通に励み、力強く前進しています。
 申すまでもなく、折伏は一切衆生救済の慈悲行であります。
 なかんずく、今日のように五濁乱漫として、天災・人災が頻発し、悪が蔓延し、人間の資質や果報が低下して劣悪となり、世情騒然とした状況を見る時、今こそ私どもは、一人でも多くの人に妙法を下種し、折伏を行じていかなければなりません。
 大聖人様は『立正安国論』に、世の中が乱れる原因は、ひとえに邪義邪宗の謗法の害毒にあることを明かされ、この謗法を対治しなければ、人々の幸せも世の中の平和も築くことはできないと仰せであります。
 また『十法界明因果抄』には、
「慳貪・偸盗等の罪に依って餓鬼道に堕することは世人知り易し。慳貪等無き諸の善人も謗法に依り亦謗法の人に親近し自然に其の義を信ずるに依って餓鬼道に堕することは、智者に非ざれば之を知らず。能く能く恐るべきか。」(御書 二〇八n)
と仰せであります。
 人の物を盗めば餓鬼道に堕ちることはだれでも知っておりますが、たとえ人の物を盗むようなことをしない善人であっても、謗法を信じたり、あるいは謗法の者に近づいて、知らず知らずのうちにその感化を受けて餓鬼道に堕ちることがあると警告されているのであります。まさに、謗法恐るべしであります。
 謗法の恐ろしさについては、このほか経典や御書に種々説かれておりますが、私どもが幸せになるためには、この謗法を破折し、対治しなければならないのであります。謗法を断たなければ、三世にわたる本当の幸せは訪れてこないからであります。まさに、この謗法を破折し、正しい信心を勧めるのが折伏であります。
 よって『善無畏三蔵抄』には、
「仮令強言なれども、人をたすくれば実語・軟語なるべし。設ひ軟語なれども、人を損ずるは妄語・強言なり。当世学匠等の法門は、軟語・実語と人々は思し食したれども皆強言・妄語なり。仏の本意たる法華経に背く故なるべし。日蓮が念仏申す者は無間地獄に堕つベし、禅宗・真言宗も又謬りの宗なりなんど申し候は、強言とは思し食すとも実語・軟語なるべし。」(同 四四五n)
と仰せであります。
 大聖人様が、念仏に対しては無間地獄に堕つると言い、あるいは禅宗や真言宗に対しては誤りの教えであると厳しく断じているのは、一見すると強言のようではありますが、実には相手を救い、幸せの境界に導くための慈悲の言動であって、これこそ真実の言葉、相手を患う優しさを持った言葉であると仰せられているのであります。まさに、折伏は相手の幸せを願う慈悲行であります。
 もちろん、私どもが折伏を行じていけば、あらゆる障魔が競い起きることは必定であります。しかし、たとえいかなる障魔や困難が襲い来ても、一閻浮提第一の御本尊を信じている我々は、
「持たるゝ法だに第一ならば、持つ人随って第一なるべし」(同二九八n)
との御金言を拝信し、泰然として、確信を持って困難に立ち向かっていくことが、解決への最善の道であることを知るべきであります。この大御本尊に対する絶対的な確信が大事なのであります。
 したがって、いかなる障魔が襲い起きようが、それに負けないで自行化他にわたる信心を貫き通していけば、必ず現世には幸せを築き、三悪道の流転から逃れることができるのであります。
 どうぞ皆様には、今こそ、来たるべき平成三十三年・法華講員八十万人体勢構築を目指して、講中一結・一意専心して折伏に励み、もって真の幸せを築かれますよう心からお祈りし、本日の挨拶といたします。