御法主日如上人御指南 
唱題行(1月3日)の砌
平成三十年一月三日 
於総本山客殿

 宗旨建立七百六十六年「行動の年」あけましておめでとうございます。
 皆様には、本年度の初登山に当たり、本日の唱題行に参加され、すがすがしく「行動の年」を迎えられ、決意も新たに、いよいよの御精進をお誓いのことと存じます。
 既に皆様も御承知の通り、宗門は今、僧俗一致・異体同心の団結をもって、来たるべき平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築へ向けて、全力を傾注して力強く前進をしております。
 法華講員八十万人体勢の構築は、邪義邪宗の謗法の害毒によって混迷を極めている末法今時の世情を浄化し、塗炭の苦しみに喘ぐ多くの人々を救い、仏国土を実現するため、宗門の総力を結集して、なんとしても達成しなければならない、極めて大事な目標であります。
 その目標達成のためには、私ども一人ひとりが、
「今の世は濁世なり、人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり。」(御書 四〇三)
との御金言を拝し、断固たる決意をもって、不幸と混乱と苦悩の根源である邪義邪宗の謗法を対治し、敢然として折伏を行じていくことが肝要であります。
 大聖人様は『法華初心成仏抄』
「仏になる法華経を耳にふれぬれば、是を種として必ず仏になるなり。されば天台・妙楽も此の心を以て、強ひて法華経を説くべしとは釈し給へり。譬へば人の地に依りて倒れたる者の、返って地をおさへて起つが如し。地獄には堕つれども、疾く浮かんで仏になるなり。当世の人何となくとも法華経に背く失に依りて、地獄に堕ちん事疑ひなき故に、とてもかくても法華経を強ひて説ききかすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり。」(同一三一六)
と仰せであります。
 まさしく「とてもかくても法華経を強ひて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり」と仰せの如く、私どもは一人でも多くの人に謗法の害毒を知らせ、妙法のすばらしさと功徳を説き、折伏を行じていくことが大事なのであります。なぜなら、信ずる人は仏に成り、たとえ謗ずる者であったとしても「毒鼓の縁」となって成仏するからであります。
 「毒鼓の縁」とは、毒薬を太鼓に塗り、大衆のなかにおいてこれを打つと、その音を聞く者すべてが死ぬと言われていますが、法を聞こうとせず反対をしたとしても、やがて煩悩を断じて得道できることを毒鼓、つまり毒を塗った太鼓を打つことに譬えている話であります。
 すなわち、一切衆生には皆、仏性が具わっており、正法を聞き、発心・修行することによって成仏できるからであります。末法今時では順縁の衆生はもとより、逆縁の衆生であったとしても、三大秘法の南無妙法蓮華経を聞かせることによって、正法と縁を結ばせ、将来、必ず救済することができるのであります。
 また、己れ自身も謗法を見過ごして、与同罪を受けることなく、成仏得道の道を必ず歩むことができるのであります。
 されば、大聖人様は『一念三千法門』に、
 「妙法蓮華経と唱ふる時心性の如来顕はる。耳にふれし類は無量阿僧祇刧の罪を滅す。一念も随喜する時即身成仏す。縦ひ信ぜずとも種と成り熟と成り必ず之に依って成仏す。」(同一〇九n)
と仰せられ、妙法を耳に触れた者は、たとえ信ぜず反対する人であったとしても、その人の心田に仏種が植えられたことになり、やがてそれが熟となり、必ず成仏に至ると仰せられているのであります。
 この御文を拝する時、我々は、信謗共に救済する広大無辺なる御本尊の絶対の功徳を信じ、一意専心、一人でも多くの人に妙法の功徳を説き、折伏を行じていかなければならないことを知るべきであります。
 また、末法当今の本未有善の衆生は、直接、妙法を誹謗していなくても、妙法を誹謗している邪義邪宗を信じて、知ると知らざるとにかかわらず、妙法誹謗の罪を犯しているわけでありますから、とにかく妙法を強いて説くことが大事であります。なぜなら、信ずる者は仏と成り、誹謗する者も毒鼓の縁となって仏縁を結ぶことになるからであります。
 大聖人様は『十法界明因果抄』に、
「慳貪等無き諸の善人も謗法に依り亦謗法の人に親近し自然に其の義を信ずるに依って餓鬼道に堕することは、智者に非ざれば之を知らず。能く能く恐るべきか。」(同
 二〇八n)
と仰せられておりますが、謗法の人に親近して、いつの間にか影響を受けて謗法に与同してしまうことが間々ありますが、それを避けるためには、とにもかくにも妙法を強いて聞かせること、すなわち折伏を行ずることが肝要なのであります。
 されば順縁、逆縁、信謗共に成仏の種子は妙法蓮華経よりほかはなく、もし世間の人が愚かな考えをもって、方便権経でも仏に成れると言うのであれば、なぜ仏様は強いて法華経を説いて、謗ずる者も信ずる者も利益があると説き、また、
「我不愛身命 但惜無上道(我身命を愛せず但無上道を惜む)」(法華経 三七七n)
と説かれたのであろうか。道心ある人は、よくよく心得なければならないと仰せられているのであります。
 さらに、大聖人様は『聖愚問答抄』に、
「此の妙法蓮華経を信仰し奉る一行に、功徳として来たらざる事なく、善根として動かざる事なし」(御書 四〇八n)
と、本因下種の妙法に具わる功徳の広大無辺なることを御教示あそばされているのであります。
 特に今、宗門は、僧俗一致・異体同心の態勢をもって、来たるべき平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築の目標達成に向けて前進しつつあります。
 この時に当たり、私どもは大御本尊様に具わる広大無辺なる功徳を固く信じ、また、ただいま拝読した御文を銘記し、御本仏大聖人の弟子檀那として、御命のままに一切衆生救済・広布達成の大願に立ち、死身弘法の大折伏戦を展開されますよう、心から念ずるものであります。
 各位には、本年「行動の年」に当たり、いよいよ自行化他の信心に励み、もって一生成仏を期されますよう心から念じて、本日の挨拶といたします。