御法主日如上人御指南 
平成30年 元旦勤行の砌
平成三十年一月一日 
於総本山客殿

 宗旨建立七百六十六年「行動の年」あけましておめでとうございます。
 総本山における元旦勤行に参詣の皆様をはじめ、宗内僧俗御一同様には、すがすがしく「行動の年」の新年を迎えられ、決意も新たに、いよいよの御精進・御奉公をお誓いのことと存じます。
 皆様も既に御承知の通り、今、宗門は全国の講中ともに僧俗一致・異体同心の団結と弛まぬ実践をもって、来たるべき平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築実現へ向かって、昼夜を厭わず、全力を傾注して力強く前進をしております。
 法華講員八十万人体勢の構築は、私どもが仏祖三宝尊の御宝前に固くお誓い申し上げた約束であります。
 すなわち、邪義邪宗の謗法の害毒によって塗炭の苦しみに喘ぐ多くの人々を救い、混迷を極める末法今時の荒廃した世情を浄化して仏国土と化し、真の平和国土を築くため、我々の総力を結集して、あらゆる障魔を打ち払い、なんとしてでも達成しなければならない、極めて大事な目標であります。
 さて法華経勧持品を拝しますと、「濁劫悪世の中には 多く諸の恐怖有らん 悪鬼其の身に入って我を罵詈毀辱せん 我等仏を敬信して 当に忍辱の鎧を著るべし是の経を説かんが為の故に 此の諸の難事を忍ばん」(法華経 三七七n)
とあります。
「悪鬼其の身に入って 我を罵詈毀辱せん」とは、「悪鬼」すなわち仏道修行を妨げ、衆生を悩ます夜叉・羅刹等のことでありますが、転じて言えば、誤った宗教・思想を指します。この悪鬼が身に入ると、人の思考は乱れ、狂いを生じて、法華経の行者を迫害したり、あるいは悪口・中傷を行うなどして正法の妨げとなり、加えて社会の思想の乱れや天変地夭を起こすことになるのであります。
 されば『兄弟抄』には、
「第六天の魔王が智者の身に入って善人をたぼらかすなり。法華経第五の巻に『悪鬼其の身に入る』と説かれて候は是なり。設ひ等覚の菩薩なれども元品の無明と申す大悪鬼身に入って、法華経と申す妙覚の功徳を障へ候なり。何に況んや其の已下の人々にをいてをや。又第六天の魔王或は妻子の身に入って親や夫をたばらかし、或は国王の身に入って法華経の行者ををどし、或は父母の身に入って孝養の子をせむる事あり」(御書 九八〇n)
と仰せられ、たとえ菩薩の最高の位で、成仏を目前にして、ほとんど仏に等しい境地に達した等覚の菩薩であっても「元品の無明」という悪鬼がその身に入ると、法華経の広大なる功徳の障害となり、また妻子の身に入って親や夫を誑かし、あるいは国王の身に入って法華経の行者を脅し、あるいは父母の身に入って孝養の子を責めたりするのであると御教示あそばされているのであります。
 「元品の無明」とは、万法に本然的に具わっている根本の迷いのことであります。これを打ち破るところに成仏があり、そのためには大御本尊様に対する絶対信こそ、最も肝要となるのであります。
 故に『御義口伝』には、
「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり。無疑曰信の釈之を思ふべし云云」(同一七六四n)
と仰せられ、無疑曰信の信心、すなわち心に寸分の疑惑のない状態の信心こそ「元品の無明を対治する利剣」であると仰せられているのであります。
 また「我等仏を敬信して 当に忍辱の鎧を著るべし」と仰せでありますが、「忍辱の鎧」とは、様々な辱めや謗りを耐え忍ぶ鎧のことであり、忍辱は六波羅蜜の一つで、心を安らかに保ち、諸々の辱めを忍ぶことを言い、外からの難に耐え忍ぶ姿を鎧を着ることに譬えられているのであります。
 されば、大聖人様は『如説修行抄』に、
「忍辱の鎧を著て妙教の剣をひっさげ、一部八巻の肝心妙法五字のはたを指し上げて、未顕真実の弓をはり、正直捨権の箭をはげて、大白牛車に打ち乗って権門をかっぱと破り、かしこへをしかけこゝへをしよせ、(中略)法華折伏破権門理の金言なれば、終に権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし、天下万民諸乗一仏乗と成りて妙法独りはむ昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風枝をならさず、雨土くれをくだかず、代はぎのうの世となりて、今生には不祥の災難を払ひて長生の術を得、人法共に不老不死の理顕はれん時を各々御らんぜよ、現世安穏の証文疑ひ有るべからざる者なり。」(同 六七一n)
と仰せであります。
 すなわち、忍辱の鎧を着て、「法華折伏破権門理」の御文のままに、強盛に自行化他の信心を行じていくところに、現世安穏の仏果を必ず得ることができると御教示あそばされているのであります。
 「法華折伏破権門理」とは、『法華玄義』(学林版玄義会本下五〇二n)の文にして、「法華は折伏して権門の理を破す」と読み、法華経は爾前経等の如き摂受の行ではなく、折伏行を根本とした教えで、この権教の理をよく打ち破っていくとの意であります。
 されば、大聖人様は『百六箇抄』に、
「日蓮は折伏を本とし摂受を迹と定む。法華折伏破権門理とは是なり」(御書一七〇〇n)
と仰せられているのであります。
 今、全国の法華講中が総力を結集し、異体同心・一致団結して、来たるべき平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築の実現へ向かって、勇躍として前進している時、あらゆる障魔が競い起きることは必定あります。
「魔競はずは正法と知るべからず」(同 九八六n)
との御金言に照らして、私達はこのことを心得ていかなければなりません。
 しかしながら「是の経を説かんが為の故に 此の諸の難事を忍ばん」と仰せのように、たとえいかなる障魔が競い起きようとも、強盛なる信心をもってあらゆる難事を忍ぶ時、必ず大御本尊の広大無辺なる功徳を享受することができるのであります。
 特に、本年は「行動の年」であります。
 大聖人様は『士篭御書』に、
「法華経を余人のよみ候は、口ばかりことばばかりはよめども心はよまず、心はよめども身によまず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ」(同 四八三n)
と仰せであります。
 皆様には、この御金言を拝し、一人ひとりが決意を新たにして、折伏の先陣を切り、一天広布を目指して御精進くださることを心から念じ、新年の挨拶といたします。