御法主日如上人御指南 
五月度広布唱題会の砌
平成二十九年五月七日 
於 総本山客殿

 皆さん、おはようございます。
 本日は、五月度の広布唱題会に当たりまして、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 さて、本年も既に五月となりましたが、各支部ともに僧俗一致・異体同心して、本年度の折伏誓願達成へ向けて、日夜、御精進のことと思います。
 申すまでもなく、折伏は御本仏宗祖日蓮大聖人様より賜った最高の仏道修行であり、末法の一切衆生救済の最善の方途であります。
 特に今、宗門は、来たるべき平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築へ向けて、力強く前進しておりますが、この広布の戦いのなかで最も肝心なことは、とかく言うのではなく、行動すること、すなわち講中のすべての人が心を一つにして、異体同心・一致団結して折伏を行じていくことであります。
 中阿含経のなかに「毒矢の譬え」という有名な逸話があります。
 この話は皆様方もよく知っている話でありますが、簡単に言いますと、「ある弟子が釈尊に対して『この世は永久のものでしょうか、無常のものでしょうか。世界には果てがあるのでしょうか。仏様は死後も存在するのでしょうか』などの疑問を投げ掛けました。釈尊はその質問に直接は答えず『毒矢に当たった者が、矢を抜く前に、この矢はどういう者が放った矢なのか。どんな名前の人なのか。背の高い人か低い人か。町の人か村の人か。矢の材質は何で出来ているのか。私を診察する医師の名はなんという名前か。これらのことがすべて判るまでは矢を抜いてはならないと言うならば、その人の命はなくなってしまうでしょう。必要なのは、まず毒矢を抜き、応急の手当てをすることである』と仰せられた」
という話であります。
 これは、私どもが今、問題としなければならないことを後回しにして、他の問題に目を向けていることを戒めた譬えで、つまり今、何が大切なのかを知ることが大事であると仰せられているのであります。
  されば今、我々にとって、なんとしてもなさねばならないことは何かと言えば、それは申すまでもなく、全支部がかねて御宝前にお誓い申し上げた折伏誓願を達成して、晴れて来たるべき平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年をお迎えすることであります。
『法華初心成仏抄』には、
「仏になる法華経を耳にふれぬれば、是を種として必ず仏になるなり。されば天台・妙楽も此の心を以て、強ひて法華経を説くべしとは釈し給へり。譬へば人の地に依りて倒れたる者の、返って地をおさへて起つが如し。地獄には堕つれども、疾く浮かんで仏になるなり。当世の人何となくとも法華経に背く失に依りて、地獄に堕ちん事疑ひなき故に、とてもかくても法華経を強ひて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり」(御書一三一六n)
と仰せであります。
 「毒鼓の縁」とは、皆様もよく御承知のように、涅槃経に説かれる話で、非常に強力な毒を太鼓の表面に塗って、その太鼓を打つと、毒のために太鼓の音を聞いた人達は皆、死んでしまうと言われています。これは逆縁とも言い、謗法の者に法華経を説き聞かせることは法華経に縁することになり、成仏の因となるという話であります。
 今、宗門は各支部ともに総力を結集して、法華講員八十万人体勢構築を目指して前進しておりますが、この時に当たり、一人ひとりがこの「毒鼓の縁」の縁由を知り、今、末法にあって本因下種の妙法こそ、順逆二縁共に成仏の直道に導く大法であることを確信し、いよいよ折伏に励むことが肝要であると思います。
 皆様方のなお一層の御精進をお祈りし、本日の挨拶といたします。