御法主日如上人御指南 
十一月度広布唱題行の砌
平成二十八年十一月六日 
於総本山客殿

 皆さん、おはようございます。
 本日は、十一月度の広布唱題会に当たり、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 既に皆様も御承知の通り、今月は第三祖日目上人御入滅の月であります。
 日目上人はその御生涯において、鎌倉の武家および京の公家へ諌暁あそばされること、その数は、実に四十二度に及ぶと伝えられております。
 よって、第二祖日興上人はその日目上人の御功績に対して、元享四(正中元・一三二四)年十二月の御本尊の脇書に、
 「最前上奏の仁、卿阿闍梨日目」
と認められ、また正慶元(元弘二・一三三二)年十一月の御本尊の脇書には、
 「最前上奏の仁、新田卿阿闍梨日目に之を授与す、一が中の一弟子なり」
と認められ、さらに、同じく正慶元年十一月の『日興跡条々事』には、
 「弘安八年より元徳二年に至る五十年の間、秦聞の功他に異なるに依って此くの如く書き置く所なり。仍って後の為証状件の如し」(御書一八八三n)
と記されまして、その御功績を称えられているのであります。
 私どもは、この日目上人の広布のためにその尊い御一生を捧げられた崇高なるお振る舞いを拝するとき、一人ひとりがその志を継承して、たとえいかなる困難や障害が起きようとも、万難を排し、一天広布を目指して、破邪顕正の折伏に励んでいかなければならないと強く感ずるのであります。
 特に今、宗門は、来たるべき平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築を目指して、各支部ともに力強く前進しております。
 こうしたなかで、我々が等しく心得ベきことは、大御本尊様に対する絶対的確信とそれに基づく弛まない自行化他にわたる実践行動こそ、誓願達成の要諦であるとしっかりと心肝に染めていくことであります。
 所詮、いかに広学多才であっても信心がなければ、その智解も役立たずに終わってしまいます。
 御承知の通り、提婆達多は八万法蔵を胸中にそらんずれども、阿鼻の炎に苦しんだのは有解無信なるが故であります。反対に、須梨槃特は鈍根無智の者ではありますが、一分の信心をもって普明如来となったのは、まさしく無解有信の故であります。
 されば、大聖人様は『日女御前御返事』に、
「仏法の根本は信を以て源とす。されば止観の四に云はく『仏法は海の如し、唯信のみ能く入る』と。弘決の四に云はく『仏法は海の如し、唯信のみ能く入るとは、孔丘の言尚信を首と為す、況んや仏法の深理をや。信無くして寧ろ入らんや。故に華厳に信を道の元、功徳の母と為す』等」(同一三八八n)
と仰せられております。仏法を求むる者は信が最も肝要であることを、かくの如く御教示あそばされているのであります。
 また、行すなわち修行について言えば、たとえ信があっても修行が伴わなければ、ついには信心退転して成仏の道を失うことになりかねないのであります。
 『寿量品』には、
 「我本行菩薩道」
 (法華経 四三三n)
と説かれまして、本因妙の御修行を示されております。
 すなわち、信心とは修行が具足して、初めて広大無辺なる大御本尊の仏果を得ることができるのであります。
 先程も申し上げましたが、今、宗門は宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年を目指して、各講中ともに力強く前進をしておりますが、この時に当たり、一人ひとりが本門戒壇の大御本尊の広大無辺なる功徳を拝信し、信行具足の信心に立って、異体同心して折伏を行じていけば、誓願は必ず達成することができると確信いたします。
 ただし、それは我々の努力次第であり、我々の努力なくして誓願は達成することはできません。
 されば、今こそ私ども一人ひとりが、日目上人の死身弘法のお振る舞いを拝し、その御行跡の万分の一なりとも果たすべく、あらゆる困難を排し、断国として折伏に立ち上がり、もって御報恩謝徳申し上げていかなければならないと存じます。
 いよいよ本年も残りあと二月、もし、いまだ誓願を達成されていない支部があれば、講中一結・異体同心して題目を唱え、弛まず努力に努力を重ね、なんとしても本年度の折伏誓願を達成して、もって大御本尊様の御照覧を見事、仰がれますよう心から願い、本日の挨拶といたします。