御法主日如上人御指南 
九月度広布唱題行の砌
平成二十八年九月四日 
於総本山客殿

 皆さん、おはようございます。
 本日は、九月度の広布唱題会に当たり、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 さて、今、全国の法華講は、来たるべき平成三十三年・法華講員八十万人体勢構築の誓願達成へ向けて、僧俗一致の態勢をもって昼夜を厭わず、懸命に折伏に励んでいます。
 誓願の達成は、我らに与えられた尊い使命であると同時に、御本尊様に誓った約束でありますから、我らはなんとしても誓願は達成しなければなりません。
 そのためには、まず我々一人ひとりが誓願達成への断固たる決意と勇猛果敢なる実践をもって、折伏に励んでいくことが肝要であります。
 大聖人様は『妙法比丘尼御返事』に、
「仏法の中には仏いましめて云はく、法華経のかたきを見て世をはゞかり恐れて申さずば釈迦仏の御敵、いかなる智人善人なりとも必ず無間地獄に堕つべし」(御書一二六二n)
と仰せであります。
 謗法の破折なくして真の成仏はなく、謗法を見ておいて、そのままにしておくことは「いかなる智人善人なりとも必ず無間地獄に堕つべし」と厳しく御制誡あそばされていることを、よくよく銘記しなければなりません。
 もちろん、私達が強盛に折伏を行じていけば、様々な難が競い起きることは必定であります。しかし、それは大聖人様の仏法が正しいからであり、間違った教えでは、魔も驚きもしませんし、騒ぎもしません。
 私どもが正しい信心をしているからこそ、様々な魔が蠢動し、難が襲ってくるのであります。
 されば『兄弟抄』には、
「此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずば正法と知るべからず。第五の巻に云はく『行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競ひ起こる、乃至随ふべからず畏るべからず。之に随へば将に人をして悪道に向かはしむ、之を畏れば正法を修することを妨ぐ』等云云。此の釈は日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり。謹んで習ひ伝へて未来の資糧とせよ」(同 九八六n)
と仰せられているのであります。
 私どもは「魔競はずば正法と知るべからず」との御金言をしっかりと心肝に染め、いかなる大難が競い起きようが、それを奇貨とし、決然として障魔を打ち払い、折伏を行じていく時、必ず転迷開悟の大功徳を享受し、即身成仏の本懐を遂げることができるのであります。
 そもそも折伏とは、謗法の重苦に喘いでいる人々に謗法の恐ろしさを教え、大聖人様の正しい仏法に導く、一切衆生救済の最善の慈悲行であります。
 故に『守護国家論』には、
「仏誡めて云はく
『謗法の人を見て其の失を顕はさゞれば仏弟子に非ず』」(同一四五)
と、謗法の害毒によって苦しんでいる人を見ていながら、聞きながら破折もせず、無慈悲にもそのままにしておくことは「仏弟子に非ず」と厳しく御制誡あそばされているのであります。
 されば『阿仏房尼御前御返事』には、
「いふといはざるとの重罪免れ難し。云ひて罪のまぬかるべきを、見ながら聞きながら置いていましめざる事、眼耳の二徳忽ちに破れて大無慈悲なり。章安の云はく『慈無くしで詐り親しむは即ち是彼が怨なり』等云云」(同九〇六)
と仰せであります。
 不幸の最大の原因である謗法をそのままにしておくことは、大聖人様の教えに反し、大聖人様の弟子檀那とは言えません。そこに今、我々が何を差し置いても折伏を行じていかなければならない大事な意義が存しているのであります。
 宗門は今、総力を結集して、来たるべき平成三十三年・法華講員八十万人体勢構築へ向かって前進しています。
 今年も残りあと四カ月、本年は全支部が異体同心・」一致団結して折伏戦を展開し、もって御宝前にお誓い申し上げた折伏誓願は必ず達成しなければなりません。
 そのためには、常に唱題を欠かさず、
「異体同心なれば万事を成ず」(同一三八九n)
との御金言を胸に、講中一結・異体同心して折伏に取り組むことが肝要であります。
 皆様方のいよいよの御健闘を心からお祈り申し上げ、本日の挨拶といたします。