御法主日如上人御指南 
唱題行(1月3日)の砌
平成二十八年一月三日 
於総本山客殿

 宗旨建立七百六十四年「折伏躍進の年」あけましておめでとうございます。
 皆様には、すがすがしく「折伏躍進の年」の新春を迎え、決意も新たに、いよいよの精進・御奉公をお誓いのことと存じます。
 既に皆様も御承知の通り、宗門は昨年三月七日・八日の両日、第二祖日興上人御生誕七百七十年奉祝大法要を宗内僧俗代表の出席のもと厳粛に奉修申し上げ、次いで三月二十二日より三十一日までの十日間にわたり、奉祝記念法要ならびに法華講員五〇パーセント増達成記念大会を全国各支部の指導教師ならびに御信徒が集い、厳粛かつ盛大に奉修申し上げることができました。
 これもひとえに、全国の各支部の皆様方の並々ならぬ御尽力の賜物と、厚く御礼申し上げます。
 さて、本年は「折伏躍進の年」であります。
 すなわち、我ら僧俗一同、それぞれが自行化他の信心を高め、勇猛果敢に折伏を行じ、もって大躍進すべき、まことに大事な年であります。
 法華経薬王品を拝しますと、
「我が滅度の後、後の五百歳の中に、
閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん」(法華経 五三九n)
とあり、広宣流布は必ず達成すると仰せられています。
 しかし、我々の努力なくして広宣流布は実現しません。我々の身軽法重・死身弘法の懸命なる折伏があってこそ、初めて広宣流布は実現するのであります。
 もちろん、我々が一天広布を目指して破邪顕正の折伏を強力に推進していけば、三障四魔をはじめ、あらゆる障魔が競い起きることは必定であります。
 しかし、大聖人様は『兄弟抄』に、
此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずば正法と知るべからず。第五の巻に云はく「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競ひ起こる、乃至随ふべからず畏るべからず。之に随へば将に人をして悪道に向かはしむ、之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云。此の釈は日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり。謹んで習ひ伝へて未来の資糧とせよ。
と仰せであります。
 「魔競はずば正法と知るべからず」
と仰せのように、魔は私どもが仏様の正しい教えを守り、揺るぎない幸せを築こうとすると、影の身に添うが如く、紛然として競い起こってきますが、しかし、その魔との戦いのなかにこそ、仏道修行の要諦があり、確固たる信念のもとに題目を唱え、正法広布に身を捧げ進んでいけば、必ず魔を魔と見破り、撃退することができるのであります。
 所詮、信心とは障魔との戦いであります。
『兵衛志殿御返事』には、
しをのひるとみつと、月の出づるといると、夏と秋と、冬と春とのさかひには必ず相違する事あり。凡夫の仏になる又かくのごとし。必ず三障四魔と申す障りいできたれば、賢者はよろこび、愚者は退くこれなり。(御書一一八四)
と仰せであります。
 この御金言通り、魔が出現した時こそ、成長のチャンスであると確信し、賢者として喜び勇んで勤行・唱題、折伏に励み、決然として障魔を粉砕し、堂々と勝利の道を歩んでいくことが肝要なのであります。
 大聖人様は『種々御振舞御書』に
釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ。今の世間を見るに、人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をばよくなしけるなり。(同 一〇六三)
と仰せられ、様々に起きる大難や障魔こそが、むしろ善知識として私どもの信心を堅固にしてくれるのであると仰せであります。
 すなわち、大聖人は、たとえいかに不退転の決意を固めていても、いざ現実に障魔が競い起きた時、動転して驚き慌てることがないよう、普段から大御本尊様へ絶対の確信を持って、たくましく正しい信心を身につけていけば、いかなる難も乗りきることができると御教示あそばされているのであります。
 今、宗門は、平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築へ向けて、僧俗一致して前進をしておりますが、その行く手には様々な障魔が競い起こることは必定であります。
 しかし、今申し上げた通り、障魔が競い起きた時こそ、むしろ信心決定の絶好の機会と捉え、妙法受持の大功徳を確信し、朗々と題目を唱え、毅然と魔と対決し粉砕していくことが大事なのであります。
 いかなる障魔も、仏様には絶対に勝てないのでありますから、この確信を持って」いかなる障魔が競い起ころうとも、いよいよ信心堅固に異体同心して折伏に励み、必ず誓願を達成されますよう心からお祈り申し上げ、本日の挨拶といたします。