御法主日如上人御指南 
一月度 広布唱題会の砌
平成二十八年一月一日 
於総本山客殿

 宗旨建立七百六十四年「折伏躍進の年」あけましておめでとうございます。
 宗内僧俗御一同には、すがすがしく「折伏躍進の年」の新春を迎え、決意も新たに、いよいよの精進・御奉公をお誓いのことと存じます。
 皆様も既に御承知の通。、宗門は昨年三月七日・八日の両日、第二祖日興上人御生誕七百七十年奉祝大法要を宗内僧俗代表の出席のもと厳粛に奉修申し上げ、次いで同月二十二日より三十一日までの十日間、奉祝記念法要ならびに法華講員五〇パーセント増達成記念大会を全国各支部の指導教師ならびに御信徒が集い、厳粛かつ盛大に奉修申し上げることができました。
 これもひとえに、全国の皆様方の御尽力の賜物と心から厚く御礼を申し上げます。
 さて、本年は「折伏躍進の年」であります。
 「躍進」とは、辞書によれば「目覚ましい勢いで進出すること、飛躍的に進歩・発展すること」とあります。
 すなわち、本年度は各支部ともに、平成三十三年・法華講員八十万人体勢構築へ向けて、いかなる困難や障害が競い起きようが強盛な信心のもとにこれらを乗り越え、折伏を実践し、もって大躍進すべき大事な年であります。
 そのためには、各講中ともに異体同心・一致団結して、全員参加の折伏戦を勇猛果敢に展開することが肝要であります。
 されば、大聖人様は『生死一大事血脈く抄』に、
「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり。然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり。若し然らば広宣流布の大願も叶ふべき者か」(御書 五一四n)
と仰せられ、また『異体同心事』には、
「異体同心なれば万事を成じ、同体異心なれば諸事叶ふ事なしと申す事は外典三千余巻に定まりて候。殷の紂王は七十万騎なれども同体異心なればいくさにまけぬ。周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ。一人の心なれども二つの心あれば、其の心たがいて成ずる事なし。百人千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず」(同一三八九n)
と仰せられています。
 これらの御文を拝してお解りのように、広布の戦いは、異体同心の団結がなければならないことが明らかであります。
 されば、中国の故事にも「天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず」とあり、天のもたらす幸運は地の利には及ばない、その地の利も人の和には及ばないと言われているのであります。
 つまり、法華講員八十万人体勢構築の実現へ向けて、講中が一丸となり、異体同心して果敢に折伏を行じていくことが勝利の秘訣であり、異体同心の団結に欠けると、そこに隙間を生じ、様々な障害が起こり、魔が蠢動して三障四魔が競い起き、講中の団結を乱し、誓願達成の妨げとなるのであります。
 故に『弁殿御消息』には、
「なづきをくだきていのるに、いまゝでしるしのなきは、この中に心のひるがへる人の有るとをばへ候ぞ」(同 九九八n)
と仰せられ、「なづき」つまり、脳髄を摧くほどに真剣に祈りに祈っても、その験がないのは、そのなかに「心のひるがへる人」すなわち、異体異心の者がいるからであると仰せられているのであります。
 されば、我々の誓願達成への戦いは、一人ひとりが異体同心の御聖訓を心肝に染め、心を同じくして、一致団結した折伏戦を展開していくことが極めて肝要となるのであります。
 しかし、この異体同心とは、ただ単にみんなが仲良くすることではなくして、大聖人様の御聖意を拝し、自分の心を御本尊様に任せ、広宣流布の一点に焦点を合わせて実践行動を同じくしていくことであることを、しっかり肝に銘じていかなければなりません。
 崇高な広宣流布という目的達成のために、心を同じくして折伏を行じていくところに、真の異体同心があり、異体同心のあるところ、必ず大御本尊様の御照覧のもと、誓願を達成することができるのであります。
 どうぞ、皆様にはこのことを銘記され、誓願達成を期していよいよ御精進くだされますよう心から念じ、本日の挨拶といたします。