御法主日如上人御指南 
十一月度 広布唱題会の砌
 大白法 平成27年11月16日
平成二十七年十一月一日
於 総本山客殿

 皆さん、おはようございます。
 本日は、十一月度の広布唱題会に当たり、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 さて、今月は第三祖日目上人御入滅の月であります。
 既に皆様も御承知の通り、日目上人は元弘三(正慶二・一三三三)年、鎌倉幕府が滅亡し、後醍醐天皇が京都に還幸された「建武の中興」を機に天奏を決意あそばされ、同年十月、御出発に先立ち、法を日道上人へ付されたのち、日尊師と日郷師をお供として京都に向かわれましたが、その途中、美濃・垂井の宿において病に伏され、十一月十五日、御年七十四歳をもって入滅あそばされたのであります。
 日目上人の、鎌倉の武家および京の公家への諫暁は、実に四十二度に及ぶと伝えられており、『日興跡条々事』に、
「弘安八年より元徳二年に至る五十年の間、奏聞の功他に異なるに依って此くの如く書き置く所なり。仍って後の為証状件の如し」(御書一八八三n)
と仰せられておりますように、その尊い御生涯を一天広布のために捧げられた日目上人の不自惜身命のお振る舞いを拝するとき、私どももまた、その御高志を承継して、たとえいかなる困難、障害が惹起しようとも、断固たる信念のもとに、力強く題目を唱え、万難を排し、一天広布を目指して、身軽法重・死身弘法の御聖訓を胸に、懸命に破邪顕正の折伏に励んでいかなければならないと痛感するものであります。
 広宣流布の達成は、御本仏大聖人の御遣命であり、特に昨今の混沌とした国内外の様相を見るとき、その原因はまさに『立正安国論』にお示しの如く、邪義邪宗の謗法の害毒によるものであることを、一人ひとりがしっかりと認識し、謗法の害毒によって塗炭の苦しみに喘ぐ一人でも多くの人に、謗法の恐ろしさを教え、一切衆生救済の秘法たる末法の御本仏宗祖大聖人の仏法を下種折伏し、救っていかなければなりません。
 大聖人様は『阿仏房尼御前御返事』に、
「夫法華経の意は一切衆生皆成仏道の御経なり。然りといへども、信ずる者は成仏をとぐ、謗ずる者は無間大城に堕つ。『若し人信ぜずして斯の経を毀謗せば即ち一切世間の仏種を断ぜん。乃至其の人命終して阿阿鼻獄に入らん』とは是なり。」(同九〇五n)
と仰せであります。また『聖愚問答抄』には、
「今の世は濁世なり、人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらは威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり」(同 四〇三n)
と仰せであります。
 我々は、この御金言のままに、大御本尊様の広大無辺なる功徳を確信し、講中一結して一天四海本因妙広宣流布の戦いに臨んでいくとき、必ず誓願を達成することができると固く確信いたします。
 さらにまた、大聖人様は『撰時抄』に、
「日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一H一微塵のごとし。法華経を二人・三人・十人・百千万億人唱え伝うるほどならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるべし。仏になる道は此よりほかに又もとむる事なかれ」(同 八六八n)
と仰せであります。
 されば、私どもはこの御金言を拝し奉り、一人ひとりが一天広布を目指して懸命に折伏に励むところに、必ず自他共に広大なる功徳を享受し、確固たる成仏の境界を築くことができるのであります。
 いよいよ本年も残りあと二月、もし、いまだ誓願を達成していない支部があれば、講中一結・異体同心して、なんとしてでも本年度の折伏誓願を達成し、御本尊様の御照覧を仰がれますよう心から願い、本日の挨拶といたします。