御法主日如上人御指南 
10月度広布唱題会の砌
平成26年10月5日
於 総本山客殿

 皆さん、おはようございます。
 本日は、十月度の広布唱題会に当たりまして、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 本年も既に十月に入り、いよいよ明年の日興上人御生誕七百七十年の佳節まで残りあと百五十日余となりましたが、皆様方には折伏誓願達成を目指して、昼夜を分かたず、僧俗一致の戦いを懸命に進めているものと思います。
 特に最近は、火山災害としては戦後最大の犠牲者を出した御嶽山の噴火や、避ける暇もなく襲った広島の地滑りなど、自然界における異変をはじめ無惨で悲痛な事件や事故が絶えず、騒然とした様相を呈しておりますが、心から犠牲者の御冥福をお祈りするとともに、私達はかかる時にこそ『立正安国論』の御聖意に照らして、平穏なる真の仏国士実現を目指し、一人ひとりが妙法の広大なる功徳と確信をもって、破邪顕正の折伏を実践していかなければならないと痛感いたします。
 何事も、事を為すには、まず決意することが肝要であります。
 『総在一念抄』には、
「心の全体が身体と成るなり。相構へて各別には意得べからず。譬へば是水の全体寒じて大小の氷となるが如し。仍って地獄の身と云ひて、洞然猛火の中の盛んなる焔となるも、乃至仏界の体と云ひて、色相荘厳となるも、只是一心の所作なり。之れに依って悪を起こせば三悪の身を感じ、菩提心を発せば仏菩薩の身を感ずるなり」(御書一一二)
と仰せられています。
 すなわち、我々が地獄の炎に苦しむ身となることも、あるいは仏身を成ずることも、皆これ「一心の所作」であると仰せられているのであります。
 まさしく、志を高く決意を持って妙法広布に身を捧げ折伏に励むか、ただ惰眠を貪って無駄な日を漠然と過ごして悔いを万代に残すか。そこにおのずと大きな格差が生じ、幸・不幸、成仏・不成仏の隔たりが歴然と顕れてくるのであります。
 もちろん、妙法流布の道は、けっして楽ではないことも覚悟すべきであります。
 中国の故事にも、
「事に臨むに三つの難きあり。能く見る、一なり。見て能く行う、二なり。当に行うべくんば必ず果決す、三なり」
とあります。
 我々が事に臨むに当たって、三つの難事がある。第一は先を見通すことの困難であり、第二はそれを行うことの困難であり、第三はその行うべきことは必ず成し遂げるという果断の困難であります。
 つまり、事を為すには、まず見通しを立て、実行し、その実行を成し遂げるという三つの困難にぶつかることを覚悟しなければならないと言っているわけであります。
 この三つの困難を乗り越えるためにはまず、いかなる苦難も恐れない断固たる決意をもって、事に当たることが肝要であります。
 決意とは、決断であり、覚悟であります。
 我々の信心も同様、いかなる困難や障魔が競い起きようが、大御本尊への絶対的確信と、断固たる決意を持って実践遂行する時は、必ずやあらゆる困難を乗り越え、所願を達成することができるのでありまして、その源泉こそが、まさしく唱題であります。
 大聖人様は唱題の功徳について『法華初心成仏抄』に、
「一度妙法蓮華経と唱ふれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕はし奉る功徳無量無辺なり」(御書一三二〇n)
と仰せであります。
 まさに、この御金言のままに、広大無辺なる唱題の功徳をもって一切衆生救済の大慈悲行である折伏に打って出る時、あらゆる障魔も恐れをなし、仏祖三宝尊の広大無辺にして計り知れない冥護を得て、必ず願いは達成されるのであります。
 今、宗門は各講中ともに僧俗一致の体勢を整え、平成二十七年・日興上人御生誕七百七十年、法華講員五〇パーセント増の全支部誓願達成を目指して止暇断眠の努力をしておりますが、この時に当たり、私どもは一人ひとりが、「相構へて相樺へて、力あらん程は謗法をばせめさせ給ふべし」(同九〇七n)
との御金言を胸に、誓願達成を目指して講中が一丸となって唱題と折伏に励み、もって必ず誓願を達成されますよう心からお願いし、本日の挨拶といたします。