御法主日如上人御指南 
8月度広布唱題会の砌
平成二十六年八月三日
於 総本山客殿
 皆さん、おはようございます。
 本日は、八月度の広布唱題会に当たり、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 本年も既に八月に入りましたが、第二祖日興上人御生誕七百七十年の佳節まであと二百十日余、皆様方には折伏誓願達成へ向けて、講中一結・異体同心して、日夜、御精進のことと存じます。
 さて、最近の混沌とした世情を見ますると、人心は極度に撹乱し、ために国内外ともに悲惨で残酷な事件や事故が頻発し、悪世末法そのままの様相を呈しております。
 こうした混迷を極める濁悪の世に在って、今こそ、私どもは末法の御本仏宗祖日蓮大聖人様の仏法をもって、一人でも多くの人々に光を与え、救済する大事な使命があることを、一人ひとりが銘記すべきであります。
 大聖人様は『六難九易抄』に、
「悪人も女人も畜生も地獄の衆生も十界ともに即身成仏と説かれて候は、水の底なる石に火のあるが如く、百千万年くらき所にも灯を入れぬればあかくなる。世間のあだなるものすら尚加様に不思議あり。何に況んや仏法の妙なる御法の御力をや。我等衆生の悪業・煩悩・生死果縛の身が、正・了・縁の三仏性の因によりて即ち法・報・応の三身と顕はれん事疑ひなかるべし。『妙法の経力をもって即身に成仏す』と伝教大師も釈せられて候。心は法華経の力にては、くちなはの竜女も即身成仏したりと申す事なり。御疑ひ候べからず」(御書一二四四n)
と仰せられています。
 「水の底なる石に火のあるが如く、百千万年くらき所にも灯を入れぬればあかくなる」とは、たとえいかに悪業深重の者であっても、妙法の縁に触れて仏性を顕し、必ず救われることを示されているのであります。すなわち、川底に沈んでいる石でも、火打ち石の原理で火を出すことができ、百万年も続いた暗闇にでも灯火を入れれば、たちまち明るくなるように、妙法の力は過去遠々劫からの悪業深重の身を、三身如来と顕すことができると仰せられているのであります。
 「悪業・煩悩・生死果縛の身」とは業・煩悩・苦の三道を言いまして、正了縁の三因仏性によって、この三道が法報応の三身と顕れるとは、煩悩が報身に、そして業が応身に、苦が法身へと転ずることを言いますが、これは『三世諸仏総勘文教相廃立』に、「縁とは三因仏性は有リと雖も善知識の縁に値はざれば、悟らず知らず顕はれず。善知識の縁に値へば必ず顕はるゝが故に縁と云ふなリ」(同一四二六n)
と仰せのように、凡夫に本来的に内在する三因仏性は、妙法の縁に触れて初めて仏性が仏性としての用きをするのでありまして、仏性がただ存在しているだけでは成仏に至らないのであります。したがって、妙法の縁に触れるということが極めて大事なのであります。
 故に『当体義抄』には、
「正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて、三観・三諦即一心に顕はれ、其の人の所住の処は常寂光土なり」(同六九四n)
と仰せられているのであります。
 まさしく、煩悩・業・苦の三道が法身・般若・解脱の三徳と転ずる所以は、ひとえに妙法の偉大なる力によるものであり、これを伝教大師は「妙法の経力をもって即身に成仏す」と釈され、もって今まで、爾前経では絶対に成仏しないと言われてきた蛇身の竜女も、妙法の経力によって即身成仏したことを明かされているのであります。
 かくの如く、妙法の力は広大無辺にして、いかに罪障深さ者でも必ず救うことができますが、ただし、これも信心の厚薄によることを忘れてはなりません。
 故に『日女御前御返事』には、
「南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり。信心の厚薄によるべきなり」(同一三八八n)
と仰せられているのであります。
 今、宗門は来たるべき平成二十七年、法華講員五〇%増の誓願達成へ向けて、僧俗が一体となり、昼夜を分かたず前進しております。
 この時に当たり、我々は一人も残らず折伏に立ち上がり、邪義邪宗の害毒によって塗炭の苦しみに喘ぐ、多くの人達を救済していかなければなりません。
 悪逆非道の提婆達多であろうが、蛇身の竜女であろうが、一切衆生ことごとくを救済し、成仏の直道に導けるのは大聖人様の仏法以外にはないことを、一人ひとりが銘記し、講中の総力を結集し、異体同心して折伏を行じ、もって誓願は必ず達成されますよう心からお祈りする次第であります。
 されば皆様には、
「いかなる大善をつくり、法華経を千万部書写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経のかたきをだにもせめざれば得道ありがたし」(同三二二n)
との御金言を御本仏の慈訓と拝して我が命に刻み、なお一層、気を引き締めて、全支部が必ず誓願を達成されますよう心からお祈りをいたしまして、本日の挨拶といたします。