御法主日如上人御指南 
7月度 広布唱題会の砌
平成二十六年七月六日
於 総本山客殿
 皆さん、おはようございます。
 本日は、七月度の広布唱題会に当たりまして、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 本年も既に七月に入りましたが、いよいよ日興上人御生誕七百七十年の佳節まであと二百四十日余、皆様方には折伏誓願達成へ向けて、講中一結・異体同心して、昼夜を分かたず御精進のことと存じます。
 大聖人様は『生死一大事血脈抄』に、
日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり。然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり。若し然らば広宣流布の大願も叶よべき者か。剰へ日蓮が弟子の申に異体異心の者之有れば、例せば城者として城を破るが如し」(御書五一四n)
と仰せであります。
 この御文は、皆様もよく御承知の御文でありますが、文字通り、この御金言の如く、講中が一致団結・異体同心して。勇猛果敢に折伏を行じていけば、法華講員五〇%増の誓願は必ず達成することができると確信いたします。
 また『異体同心事』には、
  「異体同心なれば万事を成じ、同体異心なれば諸事叶ふ事なしと申す事は外典三千余巻に定まりて候。殷の紂王は七十万騎なれども同体異心なればいくさにまけぬ。
 周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ。一人の心なれども二つの心あれば、其の心たがいて成ずる事なし。百人千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず。
 日本国の人々は多人なれども、同体異心なれば諸事成ぜん事かたし。日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて、一定法華経ひろまりなんと覚へ候。悪は多けれども一善にかつ事なし」(同一三八九n)
と仰せであります。
 かくの如く、当抄におきましても、大聖人様は勝利の秘訣は異体同心の団結にあると明言あそばされております。
 まさに今、私どもは宗門挙げて、法華講員五〇%増の誓願達成へ向けて、昼夜を分かたず懸命に折伏を行じておりますが、この誓願達成のために絶対不可欠な要件とは、ただいまの御金言の如く、講中が志を同じくして一体となり、一致団結・異体同心した戦いを展開していくことであります。
 ただし、この団結が言葉だけのものであったり、単なる掛け声であったり、表向きだけのものであったり、他人頼みのものであったりしては、真の団結とはならず、誓願は達成できません。
 つまり異体同心の団結とは、言葉ではなく、実践を通して初めて生まれるものであって、口でいくら「団結、団結」と叫んでも、実行が伴わなければ大聖人様の御意にかなうものではありません。
 講中が一結して、誓願達成の一点にすべての行動の焦点を合わせ、共に折伏に歩き、共に広布を語り、共に励まし合い、共に障魔を打ち砕き、共に困難を乗り越え、お互いが信心を根本とした実践活動を通して、初めて真の団結が生まれるのであります。
 そもそも信心とは実践であります。
 『土篭御書』には、
「法華経を余人のよみ候は、口ばかりことばばかりはよめども心はよまず、心はよめども身によまず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ」(同四八三n)
と仰せであります。
 この御文の如く、我らの信心は「色心二法共に」行じていくことが肝要であることを、よくよく銘記すべきであります。
 大聖人様は『諸法実相抄』に、
 「いかにも今度信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし 給よべし。日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(同六六六n)
と仰せであります。
 我ら本宗僧俗は、この御金言を拝し、地涌の菩薩の眷属として「日蓮が一門」となり、「日蓮と同意」奉り、遠くは一天広布のため、近くは平成二十七年の日興上人御生誕七百七十年・法華講員五〇%増の誓願達成へ向けて、一致団結・異体同心してますます強盛な信力を奮い起こし、もって各支部ともに必ず誓願を達成されますよう心から念じ、本日の挨拶といたします。