御法主日如上人御指南 
 5月度広布唱題会の砌
 平成二十六年五月四日
於 総本山客殿
 本日は、五月度の広布唱題会に当たり、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 本年も既に中盤の五月に入りましたが、皆様には僧俗一致・異体同心して、日夜、折伏誓願達成へ向けて御精進のことと存じます。
 既に皆様も御承知の通り、いよいよ明年三月には日興上人御生誕七百七十年の佳節をお迎えいたします。
 私どもは、それまでには、すべての支部が仏祖三宝尊の御宝前において誓った、法華講員五〇%増の誓願は必ず達成しなければならないと思います。全支部が誓願を達成して、晴れて仏祖三宝尊にその成果を御奉告申し上げ、是非とも御照覧賜りたいと念ずるものであります。
 さて『六難九易抄』を拝しますと、
「さて此の経の題目は習ひ読む事なくして大なる善根にて候。悪人も女人も畜生も地獄の衆生も十界ともに即身成仏と説かれて候は、水の底なる石に火のあるが如く、百千万年くらき所にも灯を入れぬればあかくなる。世間のあだなるものすら尚加樣に不思議あり。何に況んや仏法の妙なる御法の御力をや。我等衆生の悪業・煩悩・生死果縛の身が、正・了・縁の三仏性の因によりて即ち法・報・応の三身と顕はれん事疑ひなかるべし。「妙法の経力をもって即身に成仏す」と伝教大師も釈せられて候。心は法華経の力にては、くちなはの竜女も即身成仏したりと申す事なり。御疑ひ候べからず。」(御書一二四四n)
と仰せであります。
 少々長い御文ですので、解りやすく申し上げますと、
「法華経の題目は、その意味を理解して唱えなくても、ただそれを信じて唱えるだけでも大いなる善根となる。たとえ悪人であっても、女人であっても、畜生であっても、地獄の衆生であっても、十界の衆生は皆ことごとく、妙法のカによって即身成仏できると説かれているのである。それはちょうど、水の底に沈んだ石でも、それをこすれば火をおこし、百千万年の間、闇に閉ざされていた場所でも、ひとたび灯火を点ずれば明るくなるようなものである。世間の事柄でさえ、このような不思議なことがある。ましてや仏法の不思議な御法のカにおいては、なおさらである。我ら衆生の悪業・煩悩・生死果縛の身が、正・了・緑の三因仏性によって、即、法・報・応の三身と化すことは疑いのないことである。よって伝教大師も『法華秀句』に、竜女の即身成仏を讃歎して『妙法の経カをもって即身に成仏する』と述べられているのである。すなわちその意味は、妙法の経カによって、蛇身の竜女もその身を改めずして成仏したということである。これは全く疑いのないことである」
と仰せられているのであります。
 このなかで「我ら衆生の悪業・煩悩・生死果縛の身が、正・了・縁の三因仏性によって、即、法・報・応の三身と化す」とありますが、この意味は、妙法信受の広大なる功徳力用によって、「我等衆生の悪業・煩悩・生死果縛の身」すなわち煩悩・業・苦の三道を輪廻する苦海の身が、「正・了・縁の三因仏性」すなわち我ら衆生が本然的に具えている、成仏のための三要素たる正因・了因・縁因の三仏性によって、法・報・応の三身如来と転ずることができると仰せられているのであります。
 法・報・応の三身如来とは、法身とは所証の真理そのものであります。報身とは真理を体得する能生の智慧を指し、また、その智慧を体得した仏身を言います。応身とは衆生に慈悲を施す用きを指し、また衆生を救済するために応現する仏身を言いますが、これらは仏身を三方面から示したものであります。仏は必ずこの三身を具えております
が、この三身は仏のみに限らず、十界互具の当体として一切衆生にも本来的に具わっており、妙法信受の功徳によって、三身を自己の一身に顕現することができるのであります。すなわち我ら三毒強盛の凡夫の身が、そのまま仏身に転ずることができるということであります。
 その証拠として法華経の成仏相を示して、妙法の経力によって蛇身の竜女もその身を改めず成仏したことを示されているのであります。
 竜女とは、蛇身の畜生でありますが、文殊師利菩薩の説法を聞いて即座に菩提心を起こし、霊鷲山の会座に列して仏様に宝珠を奉り成仏の相を示して、爾前経ではけっして許されなかった女人の成仏と、歴劫修行をすることなしに速やかに得道する即身成仏義が明かされたのであります。
 されば『開目抄』には、
「竜女が成仏、此一人にはあらず、一切の女人の成仏をあらわす。法華経已前の諸の小乗経には、女人の成仏をゆるさず。諸の大乗経には、成仏往生をゆるすやうなれども、或は改転の成仏にして、一念三千の成仏にあらざれば、有名無実の成仏往生なり。挙一例諸と申して、竜女が成仏は、末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし」 (同五六三n)
と仰せられているのであります。
 妙法信受の功徳は、爾前権経で説くような歴劫修行や改転の成仏、すなわち女人が女身を改めて男子となって成仏することや、悪人が善人となって成仏するのではなく、女人であれ、悪人であれ、たとえいかなる人であろうとも、その身そのままに成仏することができると説かれているのであります。
 ただし、そこには大事な条件がありまして、本門戒壇の大御本尊を帰命依止の本尊と仰ぎ奉り、無二に信じ奉る無疑曰信の信心こそ、肝要であることを忘れてはなりません。
 よって法華経譬喩品には、智慧第一と言われた舎利弗すら信心によって得道したことを挙げて、「以信得入」すなわち、ただ信のみが仏道修行の要諦であると説かれ、一切衆生はことごとく、信心をもって成仏することができるのであると仰せられているのであります。
 故に『御義口伝』には、
「此の本法を受持するは信の一字なり。元品の無明を対治する利剣は信のー字なり。無疑曰信の釈之を思ふべし云云」(同一七六四n)
と仰せられ、さらに『法蓮抄』には、
「信なくして此の経を行ぜんは手なくして宝山に入り、足なくして千里の道を企つるがごとし」(同八一四n)
と仰せられているのであります。
 と同時に、その信心は単に自己のみの信心ではなく、自行化他にわたる信心こそ肝要であります。されば 『三大秘法抄』 には、
「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(同一五九四n)
と仰せられているのであります。
 なかんずく、今、宗門はいよいよ明年に迫った日興上人御生誕七百七十年の佳節を迎えるに当たり、各支部ともに僧俗一致・異体同心して誓願達成へ向けて、昼夜を分かたず折伏を実践しております。
 誓願達成は、我々の願望であるとともに、なんとしてもなさねばならぬ大事な使命であります。
 したがって、明平成二十七年三月の日興上人御生誕七百七十年の佳節まで、残りあと十カ月、私どもは全力を傾注して折伏に励み、晴れて仏祖三宝尊に誓願達成を御奉告申し上げなければならないと思います。
 どうぞ皆様には、今日を機にさらに強盛なる信心に住して、全支部が必ず誓願を達成されますようお祈り申し上げ、本日の挨拶といたします。