御法主日如上人御指南 
 春季総登山の砌
法華題目抄
       春季総登山会の砌
       平成二十六年三月二十九日 於 総本山客殿
 問うて云はく、法華経の意をもしらず、義理をもあぢゝはずして、只南無妙法蓮華経と計り五字七字に限リて、一日に一返、一月乃至一年十年一期生の間に只一返なんど唱へても軽重の悪に引かれずして四悪趣におもむかず、つひに不退の位にいたるべしや。答へて云はく、しかるべきなり。
 問うて云はく、火々といへども手にとらざればやけず、水々といへども、口にのまざれば水のほしさもやまず。只南無妙法蓮華経と題目計りを唱ふとも、義趣をさとらずば悪趣をまぬかれん事、いかゞあるべかるらん。答へて云はく、師子の筋を琴の絃として、一度奏すれば余の絃悉くきれ、梅子のすき声をきけば口につたまりうるをう。世間の不思議是くの如し。況んや法華経の不思議をや。小乗の四諦の名計りをさやづる鸚鵡なを天に生ず。三帰計りを持つ人、大魚の難をまぬかる。何に況んや法華経の題目は八万聖教の肝心、一切諸仏の眼目なり。汝等此をとなえて四悪趣をはなるべからずと疑ふか。正直捨方便の法華経には「信を以て入ることを得」と云ひ、双林最後の涅槃経には「是の菩提の因は復無量なりと雖も、若し信心を説けば、則ち已に摂尽す」等云云。夫仏道に入る根本は信をもて本とす。五十二位の中には十信を本とす。十信の位には信心初めなり。たとひさとりなけれども、信心あらん者は鈍根も正見の者なり。たとひさとりあれども、信心なき者は誹謗闡提の者なり。善星比丘は二百五十戒を持ちて四禅定を得、十二部経を諳にせし者なり。提婆達多は六万八万の宝蔵ををぼへ、十八変を現ぜしかども、此等は有解無信の者なり。今に阿鼻大城にありと聞く。又鈍根第一の須梨槃特は、智慧もなく悟りもなし。只一念の信ありて普明如来と成り給ふ。又迦葉・舎利弗等は無解有信の者なり。仏に授記を蒙リて華光如来・光明如来といはれき。仏説きて云はく「疑ひを生じて信ぜざらん者は、即ち当に悪道に堕すべし」等云云。此等は有解無信の者を皆悪道に堕すべしと説き給ひしなり。
 本年度の春季総登山会に当たりまして、皆様方には深信の登山、まことにおめでとうございます。本日は、ただいま拝読いたしました『法華題目抄』の一部をお話し申し上げたいと思います。
 この『法華題目抄』は文永三(一二六六)年の一月六日、大聖人様の御年四十五歳の時に認められた御書であります。
 対告衆につきまして、総本山第二十六世日寛上人は、
 「房州天津の伯母へ遣し給う御抄なるが故なり。彼の人は念仏の執情甚重なる人なり」(御書文段 六八五n)
と仰せられておりますように、伯母御前に対し、念仏に執着する誤りを正して、法華真実の法門をお述べになったものと拝せられます。
 本抄は、大きく分けて二段に分けられます。初めに能唱の題目の功徳、すなわち信心口唱の功徳について述べられ、次いで所唱の妙法の具徳、すなわち妙法五字に具わる功徳について明かされ、信心口唱の題目の広大なる功徳の所以は、ひとえに妙法五字に具わる功徳が無量なるがためであることを明かされています。
 このうち、ただいま拝読いたしました御文は、初めの信心口唱の功徳について述べられるところの一文であります。
 題号につきましては、日寛上人の『文段』によれ付文と元意の二意があり、付文の辺にまた、二意があると仰せであります。
 一つには、「法華」の二字は体を挙げ、「題目」の二字は名を挙げている。すなわち、妙法蓮華経とは法華経一部八巻二十八品の体の題目である故に『法華題目抄』と言うのである。そして二つには、念仏の双観経等の題目と区別して『法華題目抄』と言うのである、との御指南であります。
 次に、元意の辺を挙げれば、この題号に三箇の秘法を含んでいるからであると御指南されております。すなわち「法華」の二字は所信の体、すなわち法華経本門寿量文底下種の本尊を、「題目」の二字は能唱の行、すなわち法華経本門寿量文底下種の題目を示され、しかして、その所住の処はすなわちこれ久遠元初の本門の戒壇なるが故に「三箇の秘法を含む」と仰せになっておられます。

 それでは本文に入ります。
 初めに「問うて云はく、法華経の意をもしらず、義理をもあぢはゝずして、只南無妙法蓮華経と計り五字七字に限りて、一日に一返、一月乃至一年十年一期生の間に只一返なんど唱へても軽重の悪に引かれずして四悪趣におもむかず、つひに不退の位にいたるべしや。答へて云はく、しかるべきなり」とありますが、この段では、御本尊を信じ奉り、題目を唱える功徳がいかに広大であるかを示されているのであります。
 たとえ法華経の意味も解らずに、また、そのわけも知らずに、ただ「南無妙法蓮華経」とだけ、五字七字の題目を一日に一遍、あるいは一月乃至一年、あるいは十年に一遍、さらには一生涯の間にただ一遍だけ唱えたとしても、その功徳によって、悪逆な重罪や軽い罪悪にも引かれずして、また「四悪趣」つまり地獄・餓鬼・畜生・修羅のような恐ろしいところにも堕ちず、不退転の位に到達することができるのかどうか、との質問であります。
 これに対して、信心が強盛であれば、たとえ智慧もなく、理解が伴わないとしても、わずか一日に一遍、乃至、一生涯に一遍であっても、題目を唱えれば、それによって広大なる功徳が得られることは質問の通りである、とお答えになっているのであります。
 ただし、ここで私どもが気をつけなければならないことは、お題目を「一日に一返、一月乃至一年十年一期生の間に只一返なんど唱へても軽重の悪に引かれずして四悪趣におもむかず、つひに不退の位にいたる」とあることから、「お題目は一日に一遍、唱えればよい」「一日一遍のお題目でも、こんなに大きな功徳を頂けるのだから、それでよい」と思ってしまいがちですが、実はそうではありません。
 日寛上人は、
 「若し過去の謗法無き人は実に所問の如し。遂に不退に到るべし。然るに我等衆生は過去の謗法無量なり。此の謗法の罪滅し難し」(同 六五一n)
と仰せられています。すなわち、末法の衆生は皆、本未有善の衆生であります。したがって、過去遠々劫の昔より今日に至るまで、謗法を犯し、様々な罪障を積んできたわけであります。それを消滅するためには、並々ならぬ努力がなければなりません。したがって、過去に謗法を犯さずに来られた人ならば、一日に一遍のお題目でもよいのですが、末法にはそのような人はおりません。末法の衆生は、一日に一遍だけの題目では、積み重ねてきた様々な過去の罪障は消すことはできないのです。
 やはり罪障消滅のためには、『一生成仏抄』に、
 「深く信心を発こして、日夜朝暮に又懈らず磨くべし」(御書 四六n)
と仰せのように、日夜、怠りなく、題目を唱えていかなければならないのであります。それが末法本未有善の衆生の成仏得道の要諦であり、末法の信心であるからであります。
 されば、我々末法本未有善の衆生は、無疑日信の信心に住し、日夜朝暮に自行化他の信心に徹していくことが肝要となるのであります。
 次に「問うて云はく、火々といへども手にとらざればやけず、水々といへども、口にのまざれば水のほしさもやまず。只南無妙法蓮華経と題目計りを唱ふとも、義趣をさとらずば悪趣をまぬかれん事、いかゞあるべかるらん」とありますが、先の答えに対しまして、いくら火が熱いものだと口先で言ってみても、実際にその火に触れなければ、火の熱さは解らない。また「水、水」と言っても、飲まなければ喉の渇きを癒やすことはできません。
 同様に、いくら南無妙法蓮華経が有り難いと言っても、その「義趣」つまり、ことのわけ、意義、意味といったことも解らずに、ただ題目ばかりを唱えただけで、地獄・餓鬼・畜生・修羅の四悪趣をまぬかれることができるというのはいかがなものか、それでは腑に落ちないとして、疑問を投げかけているのであります。
 それに対しまして「答へて云はく、師子の筋を琴の絃として、一度奏すれば余の絃悉くきれ、梅子のすき声をきけば口につたまりうるをう。世間の不思議是くの如し。況んや法華経の不思議をや」と仰せであります。
 つまり、先の疑問に対して、師子の筋をもって琴の糸として、ひとたび奏すれば、他の糸はことごとく切れてしまうとお示しです。この譬えは華厳経のなかに説かれておりまして、古来、師子は百獣の王と言われ、ひとたび吼えれば、百獣が皆、斃れるというほどの威勢があります。それ故に、その師子の筋をもって琴の糸として奏するときは、他の動物で作った糸はことごとく切れてしまうと言われているのです。
 また、酸っぱい梅の実と聞いただけで、口の中に唾液が溜まりますが、この譬えは首楞厳経のなかにあります。これは、その昔、魏の武帝が大軍を率いて出陣の途中、図らずも道に迷って飲料水に欠乏し、兵士はしきりに喉の渇きを訴えましたが、その辺りでは一滴の水も出ませんでした。そこで、武帝は即座の頓知で「もう少し行けば梅の林がある。そこまで行けば、梅の実を自由に食べさせるから、辛抱して行軍せよ」と命じたのです。兵士一同は、酸っばい梅の実を思い出して口の中に唾を溜め、口の渇きを癒やすことができ、やがて水のある所に達することができたという話であります。
 このように、世間の不思議でさえも、かくの如くである。まして、法華経の不思議なることは無論である、と仰せになっているのであります。
 次の「小乗の四諦の名計りをさやづる鸚鵡なを天に生ず。三帰計りを持つ人、大魚の難をまぬかる。何に況んや法華経の題目は八万聖教の肝心、一切諸仏の眼目なり。汝等此をとなえて四悪趣をはなるべからずと疑ふか」との段は、唱題の功徳がいかに勝れ、偉大であるかを述べられているところであります。
 すなわち、小乗の四諦の名ばかりをさえずったオウムは、のちに天上界に生まれたと仰せです。この話は賢愚経のなかにありまして、釈尊の在世当時、舎衛国に須達長者という方かおりました。この須達長者の家に二羽のオウムが飼われていましたが、その性質は極めて賢く、人間の言葉を理解して、釈尊の弟子達か屋敷に来ると、そのことを家内の者に告げ、そのために長者の家では接待や歓迎に事欠かなかったと言われております。
 ある時、十大弟子の一人の阿難尊者が、この二羽のオウムを見て利口なのに驚き、苦集滅道の四諦の法門を教えたところ、オウムは大いに喜び、たちまち門前の木の上に飛び移って、さも、うれしげに幾度となく、教えられた四諦の法門を復習したのでした。やがて日が暮れたので、オウムはその木の上で寝たところ、その夜、タヌキによって無残にも食い殺されてしまったのであります。けれども、四諦の法門を聞き習った善根・功徳によって、次の世には天上界に生まれることができたという話であります。
 この四諦の「諦」とは真理という意味で、四諦とは苦諦・集諦・滅諦・道諦という四つの真理のことで、この法門は鹿野苑における釈尊の最初の説法、いわゆる初転法輪で説かれた教えであると言われております。
 このうち、第一の「苦諦」とは、迷いのこの世はすべてが苦であるという真理を言います。
 第二の「集諦」とは、欲望の尽きないことが苦を生起させているという真理です。
 第三の「滅諦」とは、煩悩を滅することが悟りの境地であるとする真理です。
 そして最後の「道諦」とは、そのためには八正道の正しい修行法によらなければならないという真理であります。
 その「八正道」とは、涅槃に至る八つの正しい道ということで、正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定を言います。
 初めの「正見」とは、仏の教えの正しい見解という意味です。
 第二の「正思惟」とは、正しく思考することです。
 第三の「正語」とは、正しい言葉ということです。
 第四の「正業」とは、正しい行いということです。
 第五の「正命」とは、正しい生活のことを言います。
 第六の「正精進」とは、正しい努力をするということです。
 第七の「正念」とは、正しい心の落ち着きを言います。
 第八の「正定」とは、禅定に入って煩悩を断ち、正しい真理を思惟する境地に入ることを言います。
 これらの相互関係は、まず正見によって正思惟、正語、正業、正命を知り、これらを成就するために正精進を求め、正念して正定に至り、最後に涅槃の境地を得ることができるとされているのであります。
 また、次に「三帰計りを持つ人、大魚の難をまぬかる」とありますが、初めの「三帰」とは仏法僧の三宝に帰依することを言います。すなわち「南無仏、南無法、南無僧」とばかりを唱えて、大魚の難をまぬかれることができた例もあるということです。
 この譬えは大悲経などにありまして、昔、ある大商人が、多くの商人を引き連れて大海へ乗り出したところ、船が急に逆巻く波に翻弄されて進退の自由を失い、魔伽羅魚王という大魚に飲み込まれそうになりました。一同は、恐れおののき、生きた心地もなく、途方に暮れていますと、大商人は「我れに従え」と言って、一同、一心に仏を念じ、合掌して「南無仏、南無法、南無僧」と唱えたところ、大魚は三宝の名を聞いて殺す心を改め、深く海底に没していったという話であります。
 しかし、これらは共に小乗経の教えの内容を示しているのでありまして、小乗経においても、かくの如く大きな功徳がある。まして、大乗中の大乗である法華経の題目は、八万聖教の肝心であり、一切諸仏の眼目でありますから小乗経に勝れることは明白である。それでもあなた方は、この法華経の題目を唱えても四悪趣を離れることができないとでも言うのか、との仰せであります。
 次に「正直捨方便の法華経には『信を以て入ることを得』と云ひ、双林最後の涅槃経には『是の菩提の因は復無量なりと雖も、若し信心を説けば、則ち已に摂尽す』等云云」とありますが、この段は信ずることの勝れた徳を明かされております。
 初めの「正直捨方便」というのは、皆さん方もよく御存じの通り、法華経方便品第二の御文で、「正直に方便を捨てて」と読みます。すなわち、方便品には釈尊が四十余年間に説いてきた、華厳、阿含、方等、般若等の経教は方便の教えであり、その方便の教えを捨てて、真実の教えである法華経に帰するように説かれております。
 また、方便品の次に説かれた譬喩品には、
 「汝舎利弗 尚此の経に於ては信を以て入ることを得たり 況んや余の声聞をや其の余の声聞も 仏語を信ずるが故に 此の経に随順す 己が智分に非ず」(法華経 一七四n)
と示されております。すなわち、智慧第一と言われた舎利弗でさえも、「己が智分に非ず」と仰せのように、自分の智慧によって得道することができたのではなく、「信を以て入ることを得た」のであり、ただ信のみが仏道修行の要諦であることを示されているのであります。
 故に『御義口伝』には、
 「信は智慧の因にして名字即なり。信の外に解無く、解の外に信無し。信の一字を以て妙覚の種子と定めたり」(御書 一七三八n)
と仰せられ、智慧の因は信であり、信をもってこそ成仏することができると教示あそばされているのであります。
 その次に「双林最後の涅槃経」とありますが、「双林」とは沙羅双樹の林のことでありまして、釈尊がここで涅槃経を説き、入滅したとされています。
 涅槃経は釈尊最後の経典であり、その涅槃経には「是の菩提の因は復無量なりと雖も、若し信心を説けば、則ち已に摂尽す」と説かれているのであります。すなわち、仏果に至るべき菩提の因は、多種多様の方法を数えることができるが、もし信心を説くならば、信心のなかに成仏得道のすべての因を納め尽くしているのである、と仰せられているのであります。
 次に「夫仏道に入る根本は信をもて本とす。五十二位の中には十信を本とす。十信の位には信心初めなり。たとひさとりなけれども、信心あらん者は鈍根も正見の者なり。たとひさとりあれども、信心なき者は誹謗闡提の者なり」とありますが、この段は前文に続いて、信ずることの勝れた徳を明かされております。
 初めに「夫仏道に入る根本は信をもて本とす」とありますが、そもそも宗教から「信」すなわち、信ずるという行為を取ってしまえば、それは宗教でもなければ仏教でもなく、単なる理論に過ぎません。したがって、単なる理論では、人は成仏しませんし、他人も救えません。まさに信心こそが、宗教にとって最も根本・肝要であります。
 さて、その次に「五十二位」とありますけれども、これは大乗の菩薩の修行の階位を五十二に分けたものでありまして、十信・十住・十行・十回向・十地の五十位と、等覚・妙覚の二位を合わせたものを言います。
 なあ、大聖人様の仏法におきましては、この五十二位の次第を経ないで、即身成仏することが説かれております。
 ちなみに、五十二位の初めの「十信」とは、信について浅きより深きに設けられた階位のことであります。
 また「十住」とは、信が決定していく十の階位です。
 次の「十行」とは、修行が深化し、さらに進める十の階位です。
 そして「十回向」とは、修行の功徳を他にも回らそうとする十の階位です。
 「十地」とは、仏道の揺るぎない境地に至る十の階位を言い、これらを合わせて五十位となります。
 次の「等覚」とは、仏様の一分の悟りを得た位を言います。つまり、仏様の「覚りに等しい」位ということです。
 最後が「妙覚」でありまして、一切の煩悩を断じ尽くした仏果、すなわち仏様の位であります。
 この五十二位の初めに十信が置かれており、さらにこの十信の初めには「信心」が第一に説かれておりますが、これは取りも直さず、仏道修行においては信心が根本であることを示されているのであります。
 したがって、このあとに続いて「たとひさとりなけれども、信心あらん者は鈍根も正見の者なり。たとひさとりあれども、信心なき者は誹謗闡提の者なり」と仰せられているのであります。
 このなかの「鈍根」とは利根に対する語で、仏法を理解する機根が鈍い衆生を言います。また「正見」とは、妄見や邪見を離れて、正しく真理を見極めることであります。
 つまり、この御文の意は、たとえ仏法に対する理解がない鈍根の者であっても、信心がある者は正見の者である。逆に、たとえ理解はあっても、信心のない者は誹謗闡提の者であると仰せられているのであります。
 この「誹謗闡提」というのは、誹謗は正法をそしり悪口すること、闡提は正法を信じないことであります。『顕謗法抄』には、
 「闡提とは天竺の語、此には不信と翻ず。不信とは、一切衆生悉有仏性を信ぜざるは闡提の人と見へたり。不信とは謗法の者なり」(同 二八七n)
と仰せになっています。
 爾前権経においては、一闡提人は正法を信ぜず、悟りを求める心がなく、成仏する機縁を持たない衆生であるとして、成仏を許されなかったのであります。しかしながら、大聖人様は『一念三千法門』に、
 「凡そ此の経は悪人・女人・二乗・闡提を簡ばず。故に皆成仏道とも云ひ、又平等大慧とも云ふ。善悪不二・邪正一如と聞く処にやがて内証成仏す。故に即身成仏と申し、一生に証得するが故に一生妙覚と云ふ。義を知らざる人なれども唱ふれば唯仏と仏と悦び給ふ」(同 一一〇n)
と仰せのように、たとえ一闡提人であったとしても、「此の経」すなわち法華経においては成仏することができると説かれているのであります。
 ちなみに、この一闡提人というのは、成仏の種が焼かれているために、その芽も出すことができないと言われる人達であります。しかし、大聖人様の仏法と巡り値い、信心をしていけば、その絶対に成仏ができないと言われた人でも、必ず成仏すると言われているのであります。
 なかんずく、大聖人様の仏法は、今言った五十二位を段階的に順次、登って成仏するわけではなく、妙法信受の功徳によって、五十二位の段階を経ることなく、即身成仏することができるのであります。故に『三世諸仏総勘文教相廃立』には、
 「名字即の位にて即身成仏する故に円頓の教には次位の次第無し」(同 一四一七n)
と仰せられているのであります。
 この「名字即」というのは六即の一つで、初めて正法を聞き、一切法は皆、仏法であることを知る位を言います。つまり、天台大師は我々凡夫が悟りに至るまでには、理即・名字即・観行即・相似即・分真即・究竟即の六つの段階があるとしました。しかし「円頓の教」すなわち、円満にして偏らず、一切衆生を速やかに成仏させる教えである法華経においては、つまり、これを今時末法に約せば三大秘法の仏法においては、南無妙法蓮華経の名字を聞いて有り難いと感じ、信心を起こす名字即の位から、六即の次第を経ないで、その身そのままに即身成仏することができると説かれているのであります。
 しかしまた、同時に、
 「何に法華経を信じ給ふとも、謗法あらば必ず地獄にをつべし・うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し。『毒気深入、失本心故』とは是なり」(同 一〇四〇n)
と、謗法を厳しく誡められております。まさしく我々の成仏は、智慧才覚によるのではなくして、謗法を排除した、純真な信心によって定まるということを知らなければなりません。故に『御義口伝』には、
 「此の本法を受持するは信の一字なり。元品の無明を対治する利剣は信の一字なり。無疑曰信の釈之を思ふべし」(同 一七六四n)
と仰せになっております。まさに、この信の一字こそが、最も大事なものなのであります。
 私達は、一人ひとりが、この御金言を拝して、ますます自行化他の信心に励んでいかなければならないと思います。
 次に「善星比丘は二百五十戒を持ちて四禅定を得、十二部経を諳にせし者なり。提婆達多は六万八万の宝蔵ををぼへ、十八変を現ぜしかども、此等は有解無信の者なり。今に阿鼻大城にありと聞く」とお示しであります。この段は、先に信ずることの勝れた徳を顕されたのに対し、その反対に「有解無信の者」すなわち、仏法の法門については詳しく理解しているけれども、信心がない者は阿鼻大城に堕ちると仰せられているのであります。
 初めにある「善星比丘」というのは、釈尊が出家前にもうけた子であります。出家して釈尊に帰依しましたが、悪友の苦得外道と交わり悪見を起こし、地獄に堕ちたと言われております。涅槃経には、釈尊がいかに真実の法を説いても、善星はそれを信受しようとせず、「仏なく、法なく、涅槃あることなし」との悪邪見を起こして、生きなからに地獄に堕ちたと説かれております。
 また「二百五十戒」というのは、小乗経を修行する比丘が受持すべきところの戒律のことであります。
 そして「四禅定」とは、一切衆生が生死輪廻する世界として、欲界・色界・無色界の三界がありますが、そのなかの欲界を離れて色界に生ずる、四種類の禅定を言います。その「禅定」とは、心を静め、一つの対象に集中して散乱せず、煩悩を断って深く真理を思惟する境地に入ることを意味します。
 もちろん、この四禅定というのは、小乗の教えであり、これを修めても天上界に生ずるのみであって、真実の涅槃の境界を得ることはできません。
 さらに、その次に「十二部経」とありますが、これは釈尊一代の聖教を、その形式・内容によって十二通りに類別したものであります。
 ちなみに、第一番が「修多羅」で、これは長行と言い、経典のなかで法義を説いた散文であります。
 第二が「祇夜」で、修多羅に応じて、重ねてその義を述べた偈文であります。
 第三が「伽陀」で、これは弧起偈と言い、長行を説かずに、偈頌だけで法義を説いたものを言います。
 第四が「尼陀那」で、経中の説法教化の因縁を説く部分であります。
 第五が「伊帝目多伽」で、これは本事と言い、仏弟子の過去世の因縁を説く経文であります。
 第六が「闍多伽」で、これは本生と言い、仏が昔、菩薩であった時の諸行を説く経文であります。
 第七ダ「阿浮多達磨」で、これは未曽有法と言い、仏の神通力を説く経文であります。
 第八が「阿波陀那」で、これは譬喩と言い、過去世の物語、譬え話を借りて説いたものであります。
 第九が「優婆提舎」で、これは論議と言い、法理を論議・問答した経文であります。
 第十が「優陀那」で、これは無問自説と言い、衆の問いを待たずに仏が自ら説いた経文であります。
 第十一が「毘仏略」で、これは方広と言い、広大な理義を説いたものであります。
 そして最後の十二番目が「和伽羅那」で、これは授記と言い、弟子に対して成仏の記別を授けることであります。
 これらをまとめて「十二部経」と言うのであります。
 次に「提婆達多」というのは、釈尊在世当時、仏弟子となりながら退転し、逆罪を犯して釈尊を迫害した悪比丘であります。
 その出生に関しては、諸経に異説がありますが、『大智度論』には斛飯王の子で、阿難の兄に当たるとされ、釈尊の従弟に当たると言われております。
 幼いころから釈尊に敵対し、釈尊に与えられた白象を打ち殺したり、耶輸多羅姫を争って敗れたこともありました。のちに出家して釈尊の弟子となりましたが、高慢な性格から退転し、新教団を創ったり、釈尊を殺そうとするなど、五逆罪を犯したのであります。
 「五逆罪」というと、通常、父を殺し、母を殺し、阿羅漢を殺し、仏身より血を出だし、和合僧を破るという五つを指しますが、提婆達多の五逆罪はこれとは異なっております。
 すなわち、第一は、五百人の比丘を誘惑して和合僧を破り、教団の一致団結を破壊したということであります。
 第二は、大石を落として、仏身より血を出したことであります。
 第三は、阿闍世王をそそのかして、酔った象を放ち、釈尊を踏み殺させようとしたことであります。
 第四は、拳をもって華色比丘尼を殴り殺したことであります。
 そして最後に、毒を手の爪に置き、仏足を礼するふりをして、釈尊を傷つけようとしたということで、この五つを提婆達多の五逆罪と言うのであります。
 また、提婆達多は阿闍世王をそそのかして、その父王を殺させましたが、のちに阿闍世王は釈尊に帰依したのに対し、提婆達多は生きながら地獄に堕ちたと言われております。けれども、法華経の提婆達多品第十二には、釈尊が過去世において修行している時に、阿私仙人として釈尊の善知識となったのが提婆達多であるとされ、天王如来として未来成仏の記別を与えられて、まさに悪人成仏の例とされているのであります。
 これは、法華経の経力がいかに勝れているか、いかなる者も必ず妙法によって救われるという一例を示しているのであります。
 それから「六万八万の宝蔵」というのは、外道の六万蔵と、仏教の八万法蔵のことであります。
 外道の六万蔵とは、インドのバラモン教の聖典である四ヴェーダのことで、四韋陀とも言われ、神への讃歌や、禍を除く方法などが説かれ、インドの宗教・哲学・文学の根源をなす最古の教典であります。
 仏教の八万法蔵とは、よく「八万四千の法門」ということを聞かれると思いますが、仏教の経典・教理がたくさんあることから、そのように言うのであります。あるいは単に「八万法蔵」と言う場合もありますが、いずれも仏教経典を指す語であります。
 ですから「提婆達多は六万八万の宝蔵ををぼへ」というのは、提婆達多は外道のすべての法、ならびに仏法の経典のすべてに通じていたとの意であります。
 次に「十八変を現ぜしかども」とあるなかの「十八変」とは、仏や菩薩が衆生を教化するために神通力によつて現す、十八種の様々な姿や動作を言います。これについては、経典によって多くの説があるようでありますが、時間の関係で省略いたします。
 そして「此等は有解無信の者なり。今に阿鼻大城にありと聞く」とありますが、初めの「有解無信」とは、文字通り、仏法の法門についてはよく知っているけれども、信心がないことを言います。『新池御書』のなかには、
 「有解無信とて法門をば解りて信心なき者は更に成仏すべからず。有信無解とて解はなくとも信心あるものは成仏すべし。皆此の経の意なり、私の言にはあらず。されば二の巻には『信を以て入ることを得、己が智分に非ず』とて、智慧第一の舎利弗も但此の経を受け持ち信心強盛にして仏になれり」(同 一四六一n)
/P3-6
と仰せられているのであります。
 また「今に阿鼻大城にありと聞く」とあるなかの「阿鼻大城」とは、阿鼻地獄のことであります。阿鼻とは無間、つまり絶え間なく、大きな苦しみを受けるという意味です。五逆罪や謗法の大悪を犯した者がここに生まれ、間断なく、様々な苦を受けるわけであります。この地獄は、諸々の地獄のなかで最も苦しい地獄であり、阿鼻叫喚地獄とも言います。
 結局、この「提婆達多は六万八万の宝蔵ををぼへ、十八変を現ぜしかども、此等は有解無信の者なり。今に阿鼻大城にありと聞く」との御文意は、提婆達多は外道の六万蔵、あるいは仏教の八万法蔵の経典を理解し、身に十八神通を現じさせたけれども、有解無信の者であるために、今なお、阿鼻大城にあると聞いている、と仰せられているのであります。
 次に「又鈍根第一の須梨槃特は、智慧もなく悟りもなし。只一念の信ありて普明如来と成り紿ふ。又迦葉・舎利弗等は無解有信の者なり。仏に授記を蒙りて華光如来・光明如来といはれき」とあります。これは、前文において「有解無信の者」すなわち、仏法の法門については詳しく知っているけれども、信心がない者は阿鼻大城に堕ちると仰せられましたが、ここでは反対に「無解有信の者」すなわち、法門についての理解はないけれども、信心がある者は成仏できることを明かされているのであります。
 初めの「須梨槃特」とは、釈尊の弟子であった兄弟二人のうちの弟を指す説と、兄弟を合わせての呼び名であったとする説があります。また、兄弟は共に愚鈍であったという説と、兄は聡明であったが、弟は暗愚であったとする説があるようであります。
 大聖人様は『三三蔵祈雨事』に、
 「すりはむどく三箇年に十四字を暗にせざりしかども仏に成りぬ。提婆は六万蔵を暗にして無間に堕ちぬ。是偏に末代の今の世を表するなり」(同八七七n)
と仰せられております。
 この須梨槃特については、法句譬喩経などに詳しく説かれており、これにもまた色々な説があるようです。その一つを紹介しますと、昔、舎衛国に一人の比丘がいて、名を須梨槃特と言った。この須梨槃特は、大変に頭が悪く、自分の名前も覚えることができず、仏様から教えを受けても、三年のうちに一偈も覚えることができなかったために、国中の者からその愚かさを馬鹿にされておりました。それを愍れに思われた仏様が、須梨槃特を呼び、一偈を授けて、これを暗誦するように勧めたのであります。
 その一偈とは「口を守り、意身を摂め、非を犯す莫れ。是くの如く行ずる者は世を度するを得ん」というもので、身体と口と心に悪業を作ってはいけない。うそを言わず、心を止め、身にあやまちなく、正しい思いをもって修行をすれば、生死の苦しみから解放される、との教えであります。
 この教えを受けた須梨槃特は、仏様の慈愛を感じ、歓喜して心を開き、一心に修行して、ついにその偈を諳んずるに至り、阿羅漢の道を得て、普明如来の記別、つまり成仏の保証を受けたのであります。
 智慧もなく、鈍根第一と言われた須梨槃特が悟りを得た話は、本未有善の荒凡夫である末法の衆生でも、ただ一心に本因下種の妙法を信じ行ずる「信」があれば、必ず仏に成れることを顕されているのであります。
 この須梨槃特については、そのほかにも色々な説があるようですが、今は略します。
 次に「迦葉」とは摩訶迦葉のことで、釈尊の十大弟子の一人で、頭陀第一と言われます。法華経の会座で光明如来の記別を受け、仏滅後は摩竭陀国王舎城の南の畢波羅窟で、阿闍世王の外護により五百の羅漢を集めて、迦葉自らが上首となり、第一回の経典結集を行いました。
また、付法蔵の第一として二十年間、小乗経を弘通し、法を阿難に付嘱して、鶏足山で生涯を閉じた方であります。
 その次の「舎利弗」も釈尊十大弟子の一人で、目連の神通第一に対して、智慧第一と称された方で、法華経方便品の開三顕一の法を聞いて開悟したとされております。
 舎利弗は、釈尊の弟子となったあと、外道等を破折して多くの僧を帰依せしめましたが、釈尊に先立って亡くなりました。
 法華経の譬喩品第三には、
 「汝舎利弗 尚此の経に於ては 信を以て入ることを得たり」(法華経一七四n)
とあり、智慧第一と言われた舎利弗ですら、「以信得入」すなわち、信心によって得道したことを挙げて、ただ信のみが仏道修行の要諦であると示されているのであります。つまり、一切衆生はだれもが、信をもってすれば必ず成仏することができると説かれているのであります。
 したがって『御籤口伝』には、
 「信は智慧の因にして名字即なり。信の外に解無く、解の外に信無し。信の一字を以て妙覚の種子と定めたり」(御書 一七三八n)
とあるように、智慧の因は信であり、信を貫いてこそ、成仏することができると説かれているのであります。
 「無解有信」というのは、法門についての理解はないが、信心はあることを言います。迦葉や舎利弗は無解有信の者でありますが、仏様より授記を受けられました。授記とは、仏様が仏記を授けることを言いますが、その仏記とは、仏様が未来の成仏について予言することの意でありまして、法華経では、提婆達多は天王如来、舎利弗は華光如来、迦葉は光明如来等の名号を与えられ、仏記を授けられているのであります。
 すなわち、ここでは「有解無信」の者と「無解有信」の者とでは、成仏において天地格段の差が生ずることを仰せられているのであります。故に『新池御書』には、
 「有解無信とて法門をば解りて信心なき者は更に成仏すべからず。有信無解とて解はなくとも信心あるものは成仏すべし」(同 一四六一n)
と仰せられているのであります。
 次に「仏説きて云はく『疑ひを生じて信ぜざらん者は、即ち当に悪道に堕すべし』等云云。此等は有解無信の者を皆悪道に堕すべしと説き給ひしなり」とあります。
 初めの「仏説きて云はく『疑ひを生じて信ぜざらん者は、即ち当に悪道に堕すべし』等云云」というのは法華経涌出品の御文で、法華経に疑いを持って信じない者は地獄に堕ちるとあります。すなわち、有解無信の者は悪道に堕ちることを説かれたものであります。
 この御文について、日寛上人は『法華題目抄文段』に、
 「文の元意は、本門寿量の教主の金言に於て疑いを生じて信ぜざる者は即ち当に悪道に堕すべしとなり」(御書文段 六六三n)
と仰せであります。すなわち、寿量品文底秘沈の大法たる三大秘法の大御本尊に、疑いの心を持ち、信ずることができない者は、悪道に堕ち、不幸になっていくとの御指南であります。まさしく、
 「不信は一闡提謗法の因」(御書一一一二n)
と仰せの如く、不信は謗法の元であり、成仏得道の最大の妨げとなるのであります。故に『四条金吾殿御返事』には、
 「ただ心こそ大切なれ。いかに日蓮いのり申すとも、不信ならば、ぬれたるほくちに火をうちかくるがごとくなるべし。はげみをなして強盛に信力をいだし給ふべし」(同 一四〇七n)
と仰せであります。また『常忍抄』にも、
 「五の巻に云はく『疑ひを生じて信ぜざらん者は則ち当に悪道に堕つべし』云云」(同 一二八四n)
と仰せであります。
 つまり、先程も言いましたが、仏教から信仰、すなわち信を取り除いてしまったならば、それは宗教でもなければ仏教でもなく、単なる理屈であります。単なる理屈では、人々は幸せになれません。そこに、仏教が信を強調する所以があるのであります。
 したがって『法蓮抄』には、
 「信なくして此の経を行ぜんは手なくして宝山に入り、足なくして千里の道を企つるがごとし」(同 八一四n)
と仰せになり、信心こそ成仏得道の要諦であることを示されているのであります。
 また『御義口伝』にも、
 「一念三千も信の一字より起こり、三世諸仏の成道も信の一字より起こるなり。此の信の字は元品の無明を切る所の利剣なり。其の故は、信は無疑曰信とて疑惑を断破する利剣なり。解とは智慧の異名なり。信は価の如く解は宝の如し。三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり。智慧とは南無妙法蓮華経なり。信は智慧の因にして名字即なり。信の外に解無く、解の外に信無し。信の一字を以て妙覚の種子と定めたり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と信受領納する故に無上宝聚不求自得の大宝珠を得るなり」(同 一七三七n)
と仰せであります。さらにまた『南部六郎三郎殿御返事』には、
 「悪人等の成仏不成仏は、罪の軽重に依らず但此の経の信不信に任すべし」(同 六八四n)
と仰せであります。
 今、宗門は、来たるべき平成二十七年ならびに三十三年の誓願達成へ向けて、一歩一歩、力強く前進をしております。この時に当たり、最も大事なことは「団結」であり、各講中ともに是非、異体同心の団結をもって大折伏戦を展開していただきたいと思います。
 大聖人様は『異体同心事』に、
 「異体同心なれば万事を成じ、同体異心なれば諸事叶ふ事なしと申す事は外典三千余巻に定まりて候。殷の紂王は七十万騎なれども同体異心なればいくさにまけぬ。周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ。一人の心なれども二つの心あれば、其の心たがいて成ずる事なし。百人千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず。日本国の人々は多人なれども、同体異心なれば諸事成ぜん事かたし。日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて、一定法華経ひろまりなんと覚へ候」(同 一三八九n)
と仰せであります。
 この御金言の通り、異体同心の団結こそ、誓願達成の秘訣であります。したがって、一人ひとりがこの異体同心の御金言を心肝に染め、講中一結して大折伏戦を展開し、目標達成へ向けて、互いに励まし合い、助け合い、協力していくことが肝要であります。
 そのためには、一人ひとりが「今、我々は、何をなすべきか」の明確なる目標を持ち、使命感を持って、傍観者になるのではなく、主体者となって行じていくことが肝要であります。こうした目的と共通の意識を、それぞれがしっかりと持って、団結していくところに、必ず誓願達成の成果が現れるのであります。
 誓願達成までの時間は、残り一年となり、わずかとなりましたけれども、どうぞ一人ひとりがしっかりとお題目を唱えて、誓願達成へ向けて異体同心して御精進くださることを心からお願いいたしまして、本日の講義といたします。