御法主日如上人御指南 
 元旦勤行の砌
  宗旨建立モ百六十二年「折伏貫徹の年」、あけましておめでとうございます。
 御隠尊日顕上人猊下には、御機嫌麗しく新年をお迎えのことと慶賀に存じ上げます。
 また、山内をはじめ宗内僧俗御一同には、すがすがしく「折伏貫徹の年」を迎え、決意も新たに、いよいよの精進・御奉公をお誓いのことと存じます。
 昨年、宗門におきましては、かねて施工中であった御影堂大改修工事が、七年の歳月を経てめでたく竣工し、落慶大法要ならびに記念法要を厳粛かつ盛大に奉修することができました。
 これもひとえに、宗内僧俗御一同からの赤誠の御供養によるものであり、ここに謹んで厚く御礼申し上げます。まことに有り難うございました。
 そもそも、当山の御影堂の創建は遠く日興上人に遡りますが、このたび大改修された堂宇は、寛永九(一六三二)年、第十七世日精上人の時、阿波徳島藩藩主・蜂須賀至鎮公夫人、敬台院殿の寄進により再建されたものであります。
 しかしながら、建立以来三百八十有余年を経て、老朽化が進み、予想される東海大地震等に備えて対策を検討した結果、全面的に解体改修することが最善との結論に達し、このたびの大改修工事になったわけであります。
 お陰さまで、関係各位の尽力により、御覧いただいての通り、壮麗にして優美に復元改修することができましたことを、心から厚く御礼申し上げます。
 と同時に、私どもは、このたび見事に復元大改修された御影堂にふさわしい信心の内実を図り、近くはまず、かねてからの命題である平成二十七年・第二祖日興上人御生誕七百七十年、法華講員五〇%増の誓願を、講中の総力を結集して、なんとしてでも達成しなければならないと思います。
 御影堂を御創建あそばされた日興上人は『日興遺誡置文』に、
 「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て、随力弘通を致すべき事」
(御書一八八四n)
と仰せであります。
 私どもは、この日興上人の御遺誡を一人ひとりが心肝に染め、文字通り「随力弘通」していかなければなりません。
 「随力弘通」とは、消極的に考えて力も出しきらずに、ほどほどにやればよいというのではありません。持てる力をすべて出しきって、事に当たることであります。
 大聖人様は『富木殿御書』に、
「我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ。一生空しく過ごして万歳悔ゆること勿れ」(同一一六九n)
と仰せであります。
 この止暇断眠の御聖訓を信心の二字でしっかりと受け止めて、力の限り折伏に励み、全力を出しきっていくところに、我らの自他共の成仏がかなえられるのであります。
 中国の故事に、
「断じて敢行すれば、鬼神も之れを避け、後に成功有り」
という言葉があります。
 何事も断固として実行すれば、鬼神も道を避け、成功も約束されるということであります。逆説的に言えば、断固たる決断と実践と敢闘精神がなければ、勝利を勝ち取ることはできないということであります。
 まさしく誓願達成の秘訣は、この断固たる決断と身軽法重・死身弘法の勇気ある実践であります。
 もちろん、我々の行く手には様々な困難や障害が立ちはだかることは必定であります。
 しかし『上野殿御返事』には、
「我等は法華経をたのみまいらせて候へば、あさきふちに魚のすむが、天くもりて雨のふらんとするを、魚のよろこぶがごとし。しばらくの苦こそ候とも、ついにはたのしかるべし」(御書一四七九n)
と仰せであります。
 大御本尊様の広大無辺なる功徳を確信し、決然として折伏を行じ、いかなる大難が競い起ころうとも少しも恐れず、「しばらくの苦こそ候とも、ついにはたのしかるべし」との御金言を胸に、ますます強盛の信心に励むべきであります。
 また『如説修行抄』には、
「いかに強敵重なるとも、ゆめゆめ退する心なかれ、恐るゝ心なかれ」 (同六七四n)
と仰せであります。
 我々はこの御金言を心に刻み、妙法広布の大願のもと、異体同心の団結をもって、あらゆる障魔を打ち砕き、不幸の根源である邪義邪宗の謗法を退治し、折伏していくことが最も肝要であります。
 そもそも、世の中の不幸と混乱と苦悩の原因は、既に『立正安国論』においてお示しの通り、すべて邪義邪宗の謗法の害毒にあり、この謗法を退治しなければ、真の幸せも世の中の平和も実現することができないのであります。
 故に『如説修行抄』には、
「諸経は無得道堕地獄の根源」(同六七三n)
と、一切衆生の不幸の根源が邪宗の謗法にあることを明確に断ぜられ、『立正安国論』には、
「早く天下の静謐を思はゞ須く国中の謗法を断つべし」(同二四七n)
と御教示あそばされているのであります。
 されば本年、いよいよ日興上人御生誕七百七十年を明年に控えた最も大事な時、一人ひとりが地涌の菩薩の眷属としての誇りと自覚を持って、誓願達成へ向けて、いよいよ御精進いただきたいと思います。
 大聖人は『聖愚問答抄』に、
「受け難き人界の生をうけ、値ひ難き如来の聖教に値ひ奉れリ、一眼の亀の浮木の穴にあへるがごとし」(同三八二n)
と仰せであります。
 皆様には、宿縁深厚にして値い難き末法の御本仏宗祖日蓮大聖人の仏法に値い奉り、今こうして本門戒壇の大御本尊のもとに登山参詣された貴重な自らの人生を無駄にすることなく、御本仏大聖人の御意のままに、一切衆生救済の崇高なる使命を持って、いよ
いよ妙法広布に励み、本年度はすべての支部が必ず誓願を達成して、晴れて来たるべき明年の日興上人御生誕七百七十年の佳節をお迎え申し上げられますよう心からお祈りを申し上げ、新年の挨拶といたします。