御法主日如上人御指南 
御法主上人猊下お言葉
11月度広布唱題会の砌
  (令和7年11月2日 於総本山 客殿)

 本日は、十一月度の広布唱題会に当たりまして、皆様には諸事御繁多のところ、信心強盛に出席され、まことに御苦労さまでございます。
 さて、大聖人様は『南条兵衛七郎殿御書』に、
「信心ふかき者も法華経のかたきをばせめず。いかなる大善をつくり、法華経を千万部書写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経のかたきをだにもせめざれば得道ありがたし。たとへば朝につかふる人の十年二十年の奉公あれども、君の敵をしりながら奏しもせず、私にもあだまずば、奉公皆うせて還ってとがに行なはれんが如し、」(御書 三二二n)
と仰せであります。
 この御文は、既に皆様方にはよく御存じのことと思いますが、一生成仏を願う私どもの信心の上から申して折伏がいかに大事であるかを示されたものであります。
 すなわち、たとえ信心強盛な者であっても邪義邪宗の謗法に対して、そのまま見過ごして折伏をしなければ、たとえいかなる大善を作り、法華経を千万部も書写し、一念三千の法門を知り得た人といえども、成仏得道することは難しいと御教示あそばされているのであります。
 まことに厳しい御教示でありますが、私どもはこの御教示を拝して、まさに今こそ、邪義邪宗の謗法の害毒によって苦しみ、不幸に喘いでいる多くの人々のためにも、断固決然として折伏を行じていくべきであります。
 大聖人様は『曽谷殿御返事』に、
「謗法を責めずして成仏を願はゞ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし。何に法華経を信じ給ふとも、謗法あらば必ず地獄にをつべし。うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し。「毒気深入・失本心故」とは是なり。」(同一〇四〇n)
と仰せであります。
 この御文は、皆様方もよく耳にすることでありましょうが、特にこの御文中の「謗法を責めずして成仏を願はゞ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし」との御文を拝し、私どもの一生成仏にとって折伏を行じていくことが、いかに大事なことであるかを知らなければなりません。
 また『如説修行抄』には、
「権実雑乱の時、法華経の御敵を責めずして山林に閉ぢ篭りて摂受の修行をせんは、豈法華経修行の時を失ふべき物怪にあらずや。されば末法今の時、法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へる。誰人にても坐せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ。」 (同 六七三n)
と仰せであります。
 この御文においては、爾前の諸経等はすべて「無得道堕地獄の根源」と仰せであります。したがって、私どもは不幸を招く元凶である邪義邪宗の謗法に対しては厳しく対応し、「折伏正規」「謗法厳誡」の宗是を固く守り、厳として破邪顕正の折伏を行じていくことが肝要であります。
 されば今、私どもは謗法によって苦しんでいる人を見て、そのまま見過ごしてしまうのではなく、大慈大悲の心を持って折伏すべきであります。もし、謗法を責めもせず、折伏もしなければ、自行化他の信心の上からいって満足な信心とは言えず、たとえいかに成仏を願っても、火の中に水を求め、水の中に火を求めるようなものであると厳しく御指南あそばされているのであります。
 私ども一同、改めてこの御文を拝し、一人ひとりが謗法の害毒によって苦悩に喘ぐ多くの人々を救い、真の幸せを実現すべく、勇躍として折伏に励むことが今、いかに大事であり、急務であるかを知らなければなりません。
 どうぞ、皆様方にはこれらの御教示を拝し、一天四海・皆帰妙法を目指して断固決然として折伏を行じ、講中一結・異体同心して、いよいよ自行化他の信心に励まれますよう心から願い、一言もって本日の挨拶といたします。