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御法主上人猊下お言葉 |
九月度広布唱題会の砌 (令和7年9月7日 於総本山 客殿) 本日は、皆様には諸事御繁忙のところ、今月度の広布唱題会に出席され、まことに御苦労さまでございます。 さて、折伏について、総本山第二十六世日寛上人は『報恩抄文段』のなかで、「邪法を退治するは即ち是れ報恩(中略)正法を弘通するは即ち是れ謝徳(中略)謂わく、身命を惜しまず邪法を退治し、正法を弘通する、則ち一切の恩として報ぜざること莫きが故なり」(御書文段 三八四n) と御指南をあそばされております。 つまり、折伏こそ四恩すなわち、父母の恩、衆生の恩、国王の恩、三宝の恩に報いるための最善の報恩行であると仰せられているのであります。 その折伏を実践するに当たって最も大切なことは、まず、しっかりと唱題に励むことであります。よって、日寛上人は『観心本尊抄文段』に、 「自行若し満つれば必ず化他有り。化他は即ち是れ慈悲なり」(同 二一九n) と、唱題の功徳が満つるところ、必ず折伏の実践が伴うことを御指南あそばされています。 すなわち、唱題は一切の仏道修行の根本であり、成仏のための最も大切な行であります。したがって、私どもが折伏をするに当たって、まずなすべき大事なことは御本尊様に対する絶対の確信を持って、真剣に唱題に励み、その唱題の功徳と歓喜を持って折伏に打って出ることであります。 そもそも、この妙法はいかにしたら幸せになれるか、ということを明かされた御本仏日蓮大聖人様の偉大なる教えであります。よって、大聖人様は『阿仏房尼御前御返事』に、 「云ひて罪のまぬかるべきを、見ながら聞きながら置いていましめざる事、眼耳の二徳忽ちに破れて大無慈悲なり。章安の云はく『慈無くして詐り親しむは即ち是彼が怨なり』等云云」(御書 九〇六n) と仰せであります。 慈悲とは抜苦与楽、すなわち相手の苦を取り除き、楽を与えることであります。したがって、どんなに心を許している友人がいたとしても、慈悲の心を持たないで、ただ表面的に仲良く付き合っていくことは、相手にとって怨にこそなれ、けっしてためにはならないのであります。 また、私どもの折伏は広大無辺なる妙法の功徳を説くものであって、したがって、邪義邪宗に対して傍観者的姿勢であったり、弱々しい折伏であってはなりません。 大聖人様は『曽谷殿御返事』に、 「謗法を責めずして成仏を願はゞ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし」(同一〇四〇n) と厳しく御指南せられているように、今、世間には様々な邪宗教が蔓延っています。そのため知らず知らずのうちに、その邪義邪宗の謗法に誑かされている人達や、邪宗教に浸りきっている人達が大勢います。 かくなる人達に対して、謗法は不幸の根源であることをはっきりと伝え、謗法厳誡の教えに従って、謗法に対しては厳しく破折していくことが大事なのであります。すなわち『立正安国論』の御指南に従って、邪義邪宗の謗法こそ、人々を不幸にし、国家・社会を危うくする元凶であることを伝え、厳として、不幸の根源となる謗法を破折することが大切なのであります。 しかして、その折伏はだれでもできることであります。要は、折伏はやろうと思えば、だれでもできるということであります。 特に本日お集まりの皆様には、是非とも、まずは、しっかりと唱題に励み、その功徳と歓喜を持って、本年度、御宝前に誓った折伏誓願は、たとえいかなることがあろうとも必ず達成するとの強い信念と勇気ある行動をもって、勇躍として折伏に邁進されますよう心からお祈り申し上げ、一言もって本日の挨拶といたします。 |